160 謎の教団9~10

編集部に戻ると、理佳の席が空席になっている。
机の上がきちんと整理され、
その上を風呂敷でカバーしてあるのが、理佳の帰った証拠である。
恂子が帰って来たのをみて、訊きももしないのに、向かいの男が言った。
「風邪だってさ、お人形さんはウイルスに弱いんだって」
(理佳と何か言い合ったんだな。女性が何かすると、すぐ口をだすんだから)
「熱、あるって・・・?」
「高温多湿だってさ。
アマゾンじゃあるまいし、熱の出るようなことでもしたんじゃないのか」
「女性はデリケートなんです」
「理佳がねぇ・・・ところで帰りにメシでもどうだい」
(フーンだ。どさくさに紛れて誘うんだから・・・
その目的で正式に誘ってみたらいかが・・・どうせ断るけど)
「今日は用事がありますから」
きつい感じに向かいの彼が鼻白む。

恂子はそのまま原稿の書き直しにかかった。
(編集長の読んでいた細長い紙片は何だったのかしら)
右手をせっせと動かしながら、ときどき別なことを考える。
(理佳先輩はどうしているかしら)
恂子は手を止めて
「帰ったら電話しようかな」
ささやいた。
「えっ、」
向かいの彼が身を乗り出す。
(あんたじゃないの!)
恂子は苦笑してマスコット人形の鼻をつつく。
 
10

「もう5日めだわ・・・」
林理佳はふと夕食の手を止めてひとりごちた。
新しい就職について今は何も訊かないでほしいと言っていた彼の顔が浮かぶ。
仕事に就く前にかなりきつい研修があると言っていた。
(どんな研修だろう)
「しばらく会えないけど・・・時々電話するよ」
そう言った彼に、
ほんとに声だけでもきかせてねと言ってあるのに・・・。

知り合って半年あまり、彼とはほとんど毎日のように会っていた。
今ではそれが当然のことで、
彼は理佳の生活から切り離せない存在になっていた。
(たった5日なのに)
会えなくなってみると、
自分の中に大きな穴があいたようで、
何をしても心の隙間を埋めることが出来ない。

今日は水曜日、仕事の都合で近くまで来るからと言って、
いつも彼が立ち寄ってくれる日である。
今日こそは来てくれるのではないかしら。
彼が来ると、理佳は彼の好物のスキヤキをつくり、
二人でつつきながらグラスを傾け、ナイターの中継を見た。
一球一球に大声をあげたり、
ひっくり返ったりする彼の仕草が子供じみて面白く、
理佳はつい口元をほころばせる。
彼のそばにいるだけで飽きることは無かった。

プロ野球のことはほとんど知らなかった理佳だが、
ヤクルトのファンで、中継が少ないとぼやいている彼と試合を見ているうちに、
最近では選手の名前はもちろん、
個々の打率や投手成績に至るまで、覚え込み、
いっぱしの評論家にでもなったように、
各プレーヤーについて、彼とやりあったりしていた。

もう、ナイター中継の時間である。自然に手がリモコンに伸びる。
今日は神宮球場のヤクルト阪神戦。きっとどこかで、彼も見ているに違いない。
 
 4回まで、両チーム無得点。
 「タイガースはどうしたんでしょうね。毎回のようにランナーをだしているのに、
 決定打がでません。お客様が怒りますよ」
 解説の川原がいっている。

それにしてもどうして5日も連絡してこないのだろうか。
(電話するって言ったくせに)
彼のアパートの電話は呼び出しである。
管理人のおかみさんの、ものの言い方が妙に底意地が悪く、
いやそんなことではなく、こちらから電話するのは、なんとなくしゃくに障るし、
来れないのなら、必ず彼の方から電話があるはずだ。

 「わあー」
 歓声ががあがる。
 1番真矢が左中間に2塁打をはなったのだ。

電話してみよう。
手を伸ばす。数字を5つまでプッシュしてやめる。
今夜はきっと連絡がある。
私がこうして待っていることは彼がいちばんよく知っているはずなのだ。
理佳は思い直して箸をとったが、食欲がわかなかった。
胃がせり上がってくるようで、食べ物を受け付けない。
毎日のように会っていて、
あんなに愛していると言ったのに、あんなに強く抱き合ったのに・・・。
理佳は、たった5日間連絡がとれないだけで、
もう半分彼の心が信じられなくなっている。
(二人の仲はこんなものだったのかしら。
こんなに脆いものだったのかしら・・・)

 5回の表、タイガースの攻撃。
 1アウト、ランナー2塁に真矢。
 しかし、ホメリーがバックスクリーンぎりぎりのセンターフライで、2アウト。

ひょっとしたら病気で寝ているのではないかしら。
来たくても熱が高くて動けないのかもしれない。
やっぱり電話してみよう。
理佳はもうすっかり覚えてしまった8桁をプッシュした。
呼び出し音が鳴る。
3回、4回、5回・・・8回まで数えて受話器を耳から離し、
それでもきこえる音をさらに3回聴いて、4回目が鳴ると同時に切る。
(管理人はいないのだろうか)

(謎の教団11~12へ続く)

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