NO 166

出逢い7~8

 7

「槙原さん」
帰る客に挨拶していた恂子の横から、大沢が声をかけた。
顔を上げるとニコニコしている大沢の後ろに、あの男が立っていた。
大沢よりちょうど頭一つ背が高い。
そして彼の目は、今はっきりと恂子を見ていた。
「実は紹介したい人がいるのです」
大沢が言った時、恂子は、はっとした。
教団ビルの階段で、転がりかけた時の記憶が鮮明に蘇っていた。
(あの時の・・・)
「思い出されましたか、阿井と申します」
彼が名刺を出した。
細い指の大きな手だ。
「アイ・・・」
つぶやきながら、恂子は手渡された厚めの紙片に目を落とした。
”天の羽衣教団導師 阿井真舜”
横書きにされた名刺には住所も電話番号も記されていない。
「おや、お知り合いでしたか」
棒立ちになっている恂子に大沢が言った。
「ええ・・・ハイ。あのう、私、月刊GOOの槙原恂子と申します。
いつぞやは、あぶないところを、どうもありがとうございました」
「ほほう。その調子では、改めて紹介するまでもないようですな」
頭を下げた恂子に、阿井も軽く会釈を返した。
無言ではあるが、
何故か、阿井は(また、会いましょう)と伝えているような気がした。
「それじゃあ失礼します」
阿井と大沢は1階へのエスカレーターの方へ歩き出した。
二人を見送る恂子は、手にした名刺に目を落とした。
(アイ シンシュン・・・)
一つ一つの文字が、恂子の頭の中に刻み込まれるように固定した。

 8

恂子は、打ち上げの途中で、二次会を断って外に出た。
みんなが楽しい気分でいる時、
自分一人が遊離したところを漂っているように感じていた。
入社して2年、今までこんな気分になったことは一度もなかった。
自分から積極的に働きかけて行くわけではなかったが、
いつもみんなと一緒にいるだけで楽しかったし、学ぶことも多かった。
(どうもこの頃変だわ)
自分ながらそう思った。
パーティー会場でも同じことを考えていたことに気がついて、
恂子は苦笑した。

街は人の波である。
本格的な新宿の夜が始まろうとしていた。
 
 こんなに多くの人がいるというのに、
 自分だけが一人ぼっちのような気がした。
 いや、この人たちも、それぞれひとりぼっちなのかも知れない。
 どんなに大勢の人たちと一緒にいても、
 自分の存在を認められなければ、人は孤独である。
 打ち上げに顔を出して、恂子より先に席を立った編集長の岡田は、
 あれから何処へ行ったのだろう。
 やはり一人で何処かを歩いているのだろうか。
 (阿井さんは・・・)
 茫洋とした深い瞳のなかに、
 かすかに風波がたっているような阿井を思い出す。
 (また会いましょう)
 彼の瞳は確かにそう伝えていた。
 みんなと別れては来たものの、今日はこのまま帰りたくなかった。
 もう一軒、もう一時間、何処か寄り道をしていこう。

陽気な若者たちが、彼女に視線をむけてくる。
気安く話しかけようとする者もいた。
だが、恂子のそばまで来ると、何故か声をかけそびれている。
何気なく通りを右折した恂子は、
不意に見知らぬ世界に迷い込んだような気がした。
その小路は、
まるで昔の行燈のようなしずもりの中に、揺らめいて見えた。
中程にあるビルの前に、何語かは分からないが、
小さな文字で”アマランサス”と読める道標が出ている。
恂子は言葉の意味も分からないまま、首筋に小さな衝撃を感じて、
足が自然に地下への階段を下り始めていた。

(出逢い9~10へ続く)

 

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