NO172

兆候

編集部は相変わらず騒々しい。
槙原恂子はエルニーニョについて、その発生の謎と、
世界的異常気象とを関連づけながら、
不思議性を強調して鉛筆を走らせていた。
彼女は、正月の恒例行事として行われた
”予言の刻”の予言が気にかかっていた。
何か起こりそうな気がしてならなかった。
そんな時、気象庁の特別観測船から一報がはいったのである。

 ”エルニーニョ”はクリスマスの頃始まるので
 ”神の子”とも言われる異常現象である。
 平均20度という熱帯としては低い、
 エクアドルやペルー沿岸の海水温が、
 画期的に上昇することによって起こる。
 それは地元の漁業に被害を与えるに留まらず、
 世界的規模で異常気象をもたらすものである。

 にもかかわらず、発生の原因と思われる貿易風の弱まる理由をはじめ、
 その周期性についても、未だにはっきりと解明されていない。
 世界各国で毎年観測を続けているが、
 日本の気象庁でも、昨年の暮れから、通常の調査の他に、
 T大海洋研の、曲立彦助教授を中心としたメンバーに観測を依頼して、
 特別海洋観測船”いるかⅡ号(1600トン)”を出港させ、
 現場における長期的な観測を行っている。

(同助教授からの最新情報によると・・・)
恂子は原稿用紙に目を走らせながら頭の中で読んでいる。

岡田のデスクで電話がなった。
彼は机の上にのせていた両足を下ろして、やおら受話器を取る。
じっと電話に聞き入っていたが、
「フムフム」と頷き 「分かった」と受話器を置く。
下ろした足でイボイボの健康器を踏みながら新しいタバコに火をつけた。
相変わらず大きな信楽の灰皿をいっぱいにして、
周囲に煙幕を張っているが、
心なしか、この頃の岡田は顔につやがなく、
髪にも白いものが増えだしているようである。

「山ちゃんよ」
岡田は、くわえタバコのまま、デスクの山崎を呼び、
小声で何かささやいている。
二人を窺っている恂子には、
岡田の話を聞いている山崎の表情が、緊張しているように見えた。
(何の話かしら・・・)
そういえば、その後教団の方には、さしたる動きもないようだが・・・。

恂子の脳裏に阿井真舜の顔が浮かびあがる。
彼とはアマランサス以来会っていなかった。
恂子の手は自然に胸にいく。
あの夜の別れ際に阿井が握らせた金属片を、
ペンダントにして下げていた。
 
 それは直径2センチほどの円形で、コインのようにも見える。
 真ん中に小さな円が描かれ、
 その周りを六角形の星を思わせる図形が囲んでいる。
 その星はもう一つの円によって囲まれ、
 さらにその外側も星で、囲まれている。

表面を見つめると、柔らかい白光が安らぎを送って来る。
そっと触って目を閉じると、彼の顔がおぼろげに浮かんできた。
(阿井さん・・・)

「恂子、なにをぼんやりしてるんだ」
大声にびっくりして顔を上げた。
山崎が隣の会議室をさしている。、

(兆候7~8へ続く)

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