NO182

覚醒

世界的規模で発生していた集団自殺も、ようやく下火になり、
一時あれほどテレビを賑わした海底火山の話題も
忘れかけようとしている頃、
編集部では、5月いっぱいで退職する理佳のために、
送別会と結婚を祝う会を兼ねて行うことになった。
恂子は定刻少し前に地下街の会場に着いた。
早々に来た連中は、もうジョッキを傾けている。
理佳がアイボリーホワイトのワンピースに、
左手の薬指の輝きを隠すようにしながら上座についた。
幹事の挨拶の後、岡田が立ち上がった。

「会うことは別れの始まりというが、
それは、別れることによってはじめて
新しい出会いが生まれるということである。
我々はかつてたくさんの出会いと別れを繰り返してきた。
それは、人間の歴史といってもよいであろう。
だがそれは、一つの過程にすぎないような気がするのだ。
いずれ我々は、今までの常識を超えた
新しい出会いと別れを経験することになるのではないか・・・」

岡田の話が続く。
理佳はすこし俯いて聞いている。
日頃うるさい連中も、かしこまって聞いている。
恂子の心に岡田の言葉が、細かい粒子となって降り積もっていった。

「・・・そして我々は再び理佳に出会うことになるだろう。
その時も、今と同じ気持ちで、
その新しい出会いに臨めるようにしたいものである」

いつになく長い岡田の話が終わった。
記念品贈呈の後、デスクの山崎の音頭で乾杯があり、
あとは、お定まりの宴が進んでいく。
反対側の末席で良ちゃんがむっつり飲んでいる。
恂子の前にスポーツ関係担当の二人がやってきて、話しかけてきた。
「恂子、お前はまだか」
「早く見つけろよ」
「なんなら世話しようか」
「それとも、誰かいるのか」
さらに、いつも向かいの席から誘いをかけてくる男が割り込んできて、
恋愛論から結婚論へと発展していく。
それぞれが自説を述べ、
そのたびに恂子はどう思うかと問われるのが、
だんだん苦痛になってきて席をはずした。

時間をつぶして戻っても、
恂子のいない席を囲んで、まだ議論が続いている。
恂子は、さっきから気になっていた良ちゃんの席へ行く。
彼の周囲はまるで、壁でもできているかのように、
人を寄せ付けない雰囲気があった。

「どうしたの」
ビールを注ぐ。
良ちゃんは、それを一気に飲み干して、ポツリと言った。
「恂子、お前好きな人ができたな」

恂子は自分で自分の気持ちを計りかねていた。
たしかに阿井に激しく会いたいと思ったりもするが、
会って何をしたいというわけではない。
しかし、こうして良ちゃんに言われてみると、
やっぱり彼を好きなのかと納得するところがある。

恂子は空になった良ちゃんのグラスにもう一杯つぎながら言った。
「良ちゃんはどうなの」

今までの恂子なら、
良ちゃんの疑問に直接答えるようなことを言ったかも知れない。
だが、今日はその答えを別な方向にずらしている。
もちろん自分の気持ちがはっきりしないせいでもあるが、
物事は、そう短絡的にはいかないことに気づき始めている。

(これからは、以前と違ったあなたになるかもしれませんよ)
阿井の言葉が甦った。
この頃は、何かあるごとに阿井の言葉を思い出す。
それが、不思議なほど生活の中でぶつかることと関連していて、
恂子は、自然に阿井への思いにふけってしまうのだった。
そんなの気持ちが顔や姿に表れて、
プロのカメラマンの目には分かってしまうのかも知れない。

良ちゃんは二杯目も一息に飲み干し、
もう一杯注げというように、グラスを突き出しながら言った。
「いいんだよ、無理に言わなくたって」
良ちゃんは悟ったような言い方で、じっと恂子の目を見る。
「ようよう、お二人さん。
見つめ合ったりしちゃってさ、妬けるじゃないか」
一人が割り込んできて、
たちまち見つめ合い方第1条、第2条と語り始めた。
良ちゃんが露骨にいやな顔をする。

酒席というものは
どんな理由で開かれたにしても、
やがて、本来の目的から遠ざかっていくものなのである。

(覚醒9~10へ続く)

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