覚醒
13
広く美しい内海であった。
大小の島々が浮かび、
それぞれが、様々な彫刻を施した石製の橋で繋がれていた。
岸から離れて壮麗な神殿が建ち、
そこまでは、広い水路とその両側に並行する石の道が続いていた。
高い6角の石柱のむこうに見える拝殿には、
壁面にたくさんの図形が描かれ、脇からは、人工の滝が落ちて、
参拝者の小舟が往き来する水路にきらめきを与えていた。
神殿の左右には網の目のように小さな水路が掘られ、
岸辺には、貴金属から日用品にいたるまでの商店が並んで、
おびただしい人々が往来していた。
”ムー”の首都。
水の都、ヒラニプラであった。
緑の丘をぬって流れる川の澱みには、
蓮が白い花を咲かせ、遠くに神殿が煙っていた。
男が一人佇んで内海を見つめている。
あたり一面に花々が咲き乱れ、色とりどりの大型の蝶が舞っている。
彼は今想っていた。
はるか6000キロの彼方を。
1万3000年の時を超えて出会うであろう女性(ひと)のことを。
(これでいいのだろうか・・・)
これから相対しなければならないグループの中にいる彼女。
まだ何も描かれていない、白いカンバスのような彼女。
自分は初めて会った時から、すでに彼女との運命を朧に観ていた。
しかし彼女にとって、自分と共に行くことが、
はたして幸福なのであろうか。
現在のなかで恋をし、結婚して母になることのほうが、
彼女にはずっと幸福なのかも知れない。
(だが、もうスターオリハルコンを渡していまった)
彼女はきっと”アマランサス”に来るだろう。
その時はすでに引き返すことができないのだ。
無数の蝶が、男の周辺を舞っている。
男は遠い目で神殿を見ている。
(しかし、自分がどう動こうと、もはや、流れを変えることはできまい)
とすれば、その流れの中で、どのように生きるかが問題である。
これから真っ白なカンバスに二人で描いていく絵は、
お互いにとって最高のものでなければならない。
いや、そうなるはずである。
男は自分に納得させるように、
大きく息を吸い込み、川に向かって歩き出した。
蝶がそれに反応して複雑な軌跡を描く。
やがて男の姿は、明るい陽光のなかに、ぼやけはじめ、消滅した。
どこかでギターのトレモロが聴こえていた。
14
一面に色とりどりの蝶が氾濫していた。
赤、青、黄色。何千、何万、何億、何兆。
無数の蝶が、地の底から螺旋を描いて天上の高みに吹き上げる。
それぞれ、方向の異なる無数の集団となってねじれ合い、渦を巻く。
そして、その色の竜巻は、一気に一点に収斂し、
その瞬間に無限に拡散して、そのたびに位相を変化させる。
男は今、一頭の蝶になって、流れに身を任せていた。
回転する自我が、ある時点時点で位相の異なる流れに転位していく。
やがて渦がゆるやかになり、次第に蝶の数が減少してついに静止した。
壁画の黒い扉の一つがかすかに発光し、
”アマランサス”の通路に、おぼろげな男の姿が実体化した。
(覚醒12~16へ続く)
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