NO 186

覚醒

15

扉が開いて阿井真舜の長身が階段を下りてきた。
恂子は思わず立ち上がっている。
どうゆうわけか、阿井の姿が光の中ににじんでいた。

「やはりここにいましたね」
「・・・・・」
何も言えない。
阿井は、恂子の肩にかるく手を置いてカウンターに座らせ、
自分は彼女の右側に腰を下ろした。
バーテンがひっそりと寄ってきて、赤い酒を出す。
阿井は恂子のグラスに、おかわりを頼む。

 恂子は阿井が自分の胸を見ているのを意識していた。
 いや、正確には胸のペンダントを見ている。
 見つめられると、その一点から身体が熱くなっていく。
 ほてりは恂子の全身に広がり、彼のそばで次第に鎮まってくるようだった。
 今まで会えなくて悩んだことも、仕事がうまく行かなかったことも、
 多忙で体調を崩していたことも、
 すべてが同時に吹き抜けていった。
 全身が、心の中までも、きれいに洗われていくように感じていた。

恂子はただそこにいた。
赤子のような無垢な気持ちで、座っていた。
阿井が無言でグラスを上げ、恂子がそれにならう。
二つのグラスが恥ずかしそうな小さな音をたてた。
ママの洋子はもういない。
阿井が現れた時から静かに鳴っていた、ギターのトレモロが、
さざ波のように耳朶をくすぐる。
「あれをごらんなさい」
恂子は阿井の指先を追った。夜空に星が輝いている。
阿井の指が一点を指した。
どうゆうわけか、そのあたりだけがズームし、拡大される。
そこには、何個かの星が、重なり合うように固まっている。
恂子も知っている、有名な星である。
「スバッル・・・」
素直に声がでた。
「そうです。アトラスの娘たちの星です」
阿井は静かに赤い酒を飲み干して続けた。
「今日から六日間は”スバルの日”。この店にとっても大切な日なのです。
もう、常連がだいぶ集まっています。
私をふくめて
彼らはどんなに遠くにいても必ず一度は”スバルの日”にやってくるのです。
「スバルの日・・・でもどうして・・・」
「それは今にわかりますよ」
阿井はバーテンが出してきた黒いボトルから淡い緑色の液体をついで、
いたわるように恂子”を見た。

16

「ほら、今入ってきたのが、民友党の次期総裁候補といわれている、太田黒源一郎です。
あっちのボックスで話し込んでいるのは、六星グループの総師と経団連の大者たちです。
カウンターの一番奥で、空を見ては何か手帳に書き込んでいる人、ご存知でしょう。
今売り出し中の易者で小説家の夢道人です」
店内には、そのほかに学者や芸術家、有名タレントに混じって、
みすぼらしい服装の得体の知れない連中もいる。
それぞれの人たちは、店に入って来ると、必ずカウンターにいる阿井に会釈して通る。
みな無言ではあるが、親愛の情がにじみ出ている。
白服のボーイが忙しそうに動き回り、
どこからともなく南国の民族衣装を身につけた女性たちが現れる。

ギターのトレモロが止み、店内が急速に暗くなっていった。
スバルが光を増しながら近づいて、6個の大きな青白い光と、
それを取り囲むように散っている10数個のかすんだ光がドーム一杯に広がった。
みんなじっと見上げている。
口を開く者はいない。
恂子にはそれが、スバルへ向かって願い事をしているように思われた。
1分ほども過ぎたであろうか。
全店をおおっていた星団は徐々に後退し、やがて星々のなかの一つになってしまう。
店内に明かりがもどり、東洋的な断片のBGMが流れ始める。
入って来た時は、一様に疲れた表情をしていた客たちが
今は生き生きと甦っているように見える。
「皆さん、星を仰いで何をなさっていたのでしょう」
「別に何もしていませんよ。ただ、あそこへ行きたいと願っているのです」
「スバルへ・・・」
唐突で、非現実的な言葉にも恂子は疑問を挟まない。
阿井がそう言うのなら、そうなのだろう。
それが、この人たちの集まってくる理由なのだろう。

「何か話したいことがあったのではありませんか」
阿井は正面の棚に置かれた世界各国のボトルの方に目を向けたまま、、
手に持ったグラスを軽く振った。

(覚醒17~18へ続く)

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