ムーの幻影3

4 出逢い

 1

豪華なシャンデリアがきらめく光を降らせて
シンセサイザーのものらしい、情感をくすぐるようなBGMが、
しぼったボリュームで流れている。
200人ほどの客の中を、
スケスケの白いブラウスに
きっちりとした黒のタイトスカートのコンパニオンたちが、
水を得た魚のように泳ぎ回っていた。

ここは、京王プラザホテル中宴会場。
月刊GOO主催、新年恒例の”予言の刻(とき)”の会場である。

 GOOは、6年前、親会社の朝夕新聞をバックに創刊された。
 内容としては、特に超能力、世の不思議な現象、神秘的なものの追求記事と、
 スポーツ、各種ゲームを中心とする、娯楽的なものの2本柱からなっていて、
 世相に合ったのか着実に読者を増やしている月刊誌である。

会場には何と言ってもジャーナリズム関係の客が多いが、
政財界をはじめ、各界の大物の姿も見える。
「俺はあんな球を見たことがないよ。
清藤は新しい魔球を開発したにちがいない」
「そうだ。スローで見るといったん外角下へいってから
内角上へねじれ上がっているんだ」
真ん中のテーブルを囲んで、
スポーツ関係の記者たちが陽気にまくし立てている。
「大内は再起不能だってことだぜ」
「そんなことはあるまい。あれだけ鋭い読みをもっている奴だからな」
「それがな、球団フロントの話では、骨折は完治したんだが、
何か精神的にまいっているって話だぜ」
「うん、なんでも母親に死なれて、がっくりしたままだと聞いたような気がするな」

 2

ステージの光が増して司会の言葉が聞こえてきた。
「それでは、時刻になりましたので、昨年この場で封印されました、
予言の開封をすることにいたしましょう。
今年の開封者は三田村慶子さんです、どうぞ!」
短いファンファーレの後、最近人気実力NO1とされる、
美人女優の三田村が紹介されると、会場から大きな拍手があこった。
黒いロングドレスに、白い華やかな笑顔がよく映えて、
ホール全体が明るくなったように見えた。
下手からアシスタントの女の子が、
透明なプラスチックの函をもって現れる。
三田村はそれを受け取り、2,3歩前に出て演壇の上に置いた。

「これは昨年の1月5日、5人の方々によって予言されたものでございます。
すでに、皆様方には1年間に何が起こったか、
お分かりになっていることではございますが、
予言は、それをどこまで、見通していることでしょうか」
司会の言葉と共に三田村が開放ボタンの封印を切った。
「時間錠解放時刻まで、あと30秒でございます」

BGMがフェードアウトしていく。場内は静まりかえり、客だけではなく、
コンパニオンや黒服のホテルマンまでが、身体を硬くして、固唾をのんでいる。
プラスチックの函がカチカチと秒をきざんでいる音が聴こえてくる。
照明が濃いブルーに変わり、中央の一点にピンの光が収束する。
三田村慶子の優雅な指先が透明な函の上部に付いているボタンの触れた。

カタッ!

函の両側の相対する二面が同時に開いた。
客たちは皆声にならない声を発して演壇を注目している。
三田村の白い指が函の中で、
どれにしようかと迷っているように、2,3度往復した。
強い光を受けたダイヤの指輪が、ハレーションをおこし、
やっと目的のものを見つけたとでもいうように、
一通のやや小型の封筒を取り出した。

 3

三田村は微笑して口もとを開いた。
「それではまず、Kさんのい予言です」
アシスタントが挟みを入れた封筒を、再び三田村に渡す。
彼女は封筒の中の紙片をつまみ出し、
目の高さまで持ち上げて客に示した。
光束の中心が彼女の手元に移動する。

一瞬、三田村慶子の笑顔が硬直した。
目を大きく開いたまま絶句している。
やがて気を取り直したように半歩前へ進み
「Kさんの予言です」
声にかすかな震えが残っている。
「一つ、東海地方に大地震あり」
場内に、ざわめきが起こった。
昨年10月、
御前崎を大きく隆起させる地震が起こったばかりであった。
今年で5回を数える”予言の刻”であったが、
これほで、的確に言い当てたものは、かってなかった。
司会が努めて冷静な声で静粛を呼びかける。

「二つ、この予言は必ず最初に読まれる」
「三つ、これ以外のものは取るに足らず」

三田村は次々と残り4通を読み上げた。
それらは、実際最初の予言にあったとおり、
何の具体的現象を示すものではなかった。

 4

(いったい誰なんだろう・・・Kって)
恂子は首をかしげた。
艶やかな友振り袖が彼女の都会的な顔立ちと溶け合い、
少女らしさを残した面影のなかに、成熟した女性の貌をのぞかせている。
もちろん恂子にとって”予言の刻”は初めてではなかった。
ただ、昨年までは社の恒例行事の一つだと軽く見ていた。
が、何故か今年は気にかかる。
”天の羽衣教団”の取材以来
恂子の興味は摩訶不思議なものに引きずられているのかもしれない。

恂子には、今日の会の始めから妙に気になる客がいた。
別に変わった服装をしているわけではなく、
目立つような行動をしているわけでもない。
他と異なる点といえば、その背の高さであろう。
ほとんどの客の頭の上から彼の目がのぞいている。
先ほども、何となく後ろを振り向いて目が合い、恂子はどぎまぎした。
何処かで、見たことがあるような気がしている。

 アルコールがまわった会場には、客たちの会話が声高に交わされている。
 ”K”は最近インドから帰国したばかりだとか、
 政治の中枢にまで食い込んでいるらしいとかという声が聞こえてくる。

(もう一回りしてこようか)
歩きかけた恂子のうしろで、白光がひらめいた。
びっくりして振り返ると、カメラをちょっと上にあげて、藤森良が声をかけてきた。
「美女の後ろ姿ってーのは、何時だって絵になるぜ」
(フーンだ、何が後ろ姿よ、横顔はもっといいんだぞ)
「遊んでないで仕事しなさいよ」
「何を言うか、さっきからぼんやりしてたのは誰だよ」
最後のほうは背を向けて、良ちゃんは客のなかに紛れ込んでいく。
(ずっと私を見てとのかしら)
頬を赤らめた恂子が、良ちゃんの後ろ姿を追っていくと、知った顔にぶつかった。
(教団の大沢さんだわ、何時来たのかしら)

”天の羽衣教団”常務理事、大沢正は、
紺のスーツをビシッと決めて2,3人の男たちと親しそうに談笑している。
(一丁挨拶してくるか)
恂子は急いで足を運ぼうとして、つまずきそうになる。
無意識に周囲を窺った。なれない和服である。
(誰も気づいていないな)

 5

「月刊GOOの槙原でございます。昨年は大変お世話になりました。
本年もどうぞ、よろしくお願い致します」
型どおりの挨拶に、大沢はにこやかに
「やあ、槙原恂子さんでしたね。どうですか最近、お仕事のほうは」
「おかげさまで、何とかやっております。
あっ、お邪魔ではなかったでしょうか」
「いやいや、みなT大の同期でしてね。
頑固でうるさいが気のいい奴ばかりですから」
「こらっ、頑固はお前じゃないか。いや失礼私はこういう者です」
隣にいた大きな腹の男が名刺を出す。
「おいおい、美人と見るとすぐに触手を動かすんだから・・・」
大沢は名刺の男をからかい、恂子に訊いてきた。
「羽衣の紅茶はいかがでしたか」
「ええ、あまり美味しかったものですから、
後で、もう一度出かけて行ったくらいだすわ」
「ほー、やはりね。あなたにはあの味が分かると思っていましたよ」
「オイ、お前の方こそ触手をのばしているんじゃないか」
「いいんだよ、このお嬢さんとは、お前より先に出会っているんだから。
先手必勝というだろう」
周りが大声で笑った。
それぞれの道を確信を持って生きている男たちなのだろう。
自信に溢れていながら、エリート意識などおくびにも出さない。
他愛ない笑顔である。

 編集長の岡田遥之も同類のような気がする。
 ひょうきんな態度の中に、秘められた強靱な意志とでもいうか、
 恂子は彼に得たいの知れない実力を感じる。

大沢たちのグループを離れると、
恂子の目は自然にあの背の高い男の姿を探している。
(何処にいるのだろう・・・)
もう帰ったのだろうか。そんなはずはない。
これからもう一つショウがあるのだ。
(あっ、いた!)
隅の方の椅子に座って二人の女性と話している。
それが癖なのか、グラスを口に運ぶ前に、わずかに振っている。
何気ない動作だが、
少しずつ溶けていく氷の音を、密かに楽しんでいるように見える。

 6

「それでは皆様、最後に今年もまた5人の方に予言をお願いいたしましょう」
 ステージ上に五つの小型テーブルがあって、濃いブルーのガウンを纏い、
 目の部分だけに穴をあけて顔を覆った人間が座っている。
 照明が徐々にブルーの変化する中で、
 左手の一つの座にスポットがあたった。
「今年の概況についてSさんにお願い致します」
司会の言葉で、Sなる人物が徐に立ち上がり、語り始めた。

「今年は動の年となるでしょう。自然界では、地震や火山の活動が活発になり、
 寒暖の差が激しく異常気象となります。
 政治経済面では首長や幹部の交代が相次ぎ、
 科学や芸術の分野では、天才が現れて、
 新しい発明発見が見られるようになるでしょう。
 具体的には、これから封じられる紙片にしるすことにしますが、
 国民の生活は一連の動きに翻弄され、
 破壊活動は全世界規模のものへと広がって行きます。
 しかし、そんななかにあっても、さらに動じない人たちの手によって、
 できるだけ破壊を阻止しようとする動きがすでに始まっているようです」

Sが静かに着席した。
5人の予言者の手元にスポットがあたる。
それぞれが紙に書き込み、封をした封筒を
アシスタントの女の子に渡す。
三田村慶子が受け取って例の透明な函に入れ、
横蓋を閉じて時刻をセットする。
顔の前に持って行ってカチカチという音を確かめてから、
開放ボタンの上をテープで封印すると、
あらためて函を持ち上げ、会場に示した。

「開放時刻は来年の1月5日午後7時30分にセットされました。
中の予言はこの函を壊さないかぎり取り出すことは出来ません。
皆様また来年の”予言の刻”でお会いいたしましょう」
司会の声と共にBGMが音量をあげ、
ステージが暗転して会場が明るくなった。

(出逢い7~8へ続く)
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 7

「槙原さん」
帰る客に挨拶していた恂子の横から、大沢が声をかけた。
顔を上げるとニコニコしている大沢の後ろに、あの男が立っていた。
大沢よりちょうど頭一つ背が高い。
そして彼の目は、今はっきりと恂子を見ていた。
「実は紹介したい人がいるのです」
大沢が言った時、恂子は、はっとした。
教団ビルの階段で、転がりかけた時の記憶が鮮明に蘇っていた。
(あの時の・・・)
「思い出されましたか、阿井と申します」
彼が名刺を出した。
細い指の大きな手だ。
「アイ・・・」
つぶやきながら、恂子は手渡された厚めの紙片に目を落とした。
”天の羽衣教団導師 阿井真舜”
横書きにされた名刺には住所も電話番号も記されていない。
「おや、お知り合いでしたか」
棒立ちになっている恂子に大沢が言った。
「ええ・・・ハイ。あのう、私、月刊GOOの槙原恂子と申します。
いつぞやは、あぶないところを、どうもありがとうございました」
「ほほう。その調子では、改めて紹介するまでもないようですな」
頭を下げた恂子に、阿井も軽く会釈を返した。
無言ではあるが、
何故か、阿井は(また、会いましょう)と伝えているような気がした。
「それじゃあ失礼します」
阿井と大沢は1階へのエスカレーターの方へ歩き出した。
二人を見送る恂子は、手にした名刺に目を落とした。
(アイ シンシュン・・・)
一つ一つの文字が、恂子の頭の中に刻み込まれるように固定した。

 8

恂子は、打ち上げの途中で、二次会を断って外に出た。
みんなが楽しい気分でいる時、
自分一人が遊離したところを漂っているように感じていた。
入社して2年、今までこんな気分になったことは一度もなかった。
自分から積極的に働きかけて行くわけではなかったが、
いつもみんなと一緒にいるだけで楽しかったし、学ぶことも多かった。
(どうもこの頃変だわ)
自分ながらそう思った。
パーティー会場でも同じことを考えていたことに気がついて、
恂子は苦笑した。

街は人の波である。
本格的な新宿の夜が始まろうとしていた。
 
 こんなに多くの人がいるというのに、
 自分だけが一人ぼっちのような気がした。
 いや、この人たちも、それぞれひとりぼっちなのかも知れない。
 どんなに大勢の人たちと一緒にいても、
 自分の存在を認められなければ、人は孤独である。
 打ち上げに顔を出して、恂子より先に席を立った編集長の岡田は、
 あれから何処へ行ったのだろう。
 やはり一人で何処かを歩いているのだろうか。
 (阿井さんは・・・)
 茫洋とした深い瞳のなかに、
 かすかに風波がたっているような阿井を思い出す。
 (また会いましょう)
 彼の瞳は確かにそう伝えていた。
 みんなと別れては来たものの、今日はこのまま帰りたくなかった。
 もう一軒、もう一時間、何処か寄り道をしていこう。

陽気な若者たちが、彼女に視線をむけてくる。
気安く話しかけようとする者もいた。
だが、恂子のそばまで来ると、何故か声をかけそびれている。
何気なく通りを右折した恂子は、
不意に見知らぬ世界に迷い込んだような気がした。
その小路は、
まるで昔の行燈のようなしずもりの中に、揺らめいて見えた。
中程にあるビルの前に、何語かは分からないが、
小さな文字で”アマランサス”と読める道標が出ている。
恂子は言葉の意味も分からないまま、首筋に小さな衝撃を感じて、
足が自然に地下への階段を下り始めていた。

(9

北欧風の調度でまとめられた部屋。
畳を敷けば12,3畳にもなろうか。
大きなソファーに男がゆったりとくつろいでいた。
小型のテーブルを挟んで、二つの椅子の左側に、女が脚を組んでいる。
髪を無造作に後ろに束ねた女は唇を堅く結び、
目を半眼にして男を見つめている。
フロアースタンドだけの柔らかい光が、女の顔から表情を奪って、
全く没個性的な人形のような感じを与える。

男の顔は見えない。
逆光になった後ろ姿が、黒々と浮かびあがり、
顔の中心から真っ直ぐに立ち上る紫煙が、
天井の薄闇の中に溶け込んでいる。
二人とも無言である。

やがて女の唇が動いた。

「天の羽衣教団ビルの外壁は、
何らかのエネルギー吸収装置であることが判明しております。
現在はもっぱら太陽エネルギーを吸収しているもようです」

「最上部からは時々強い電磁波を発しておりますが、
おそらくその時点での余剰エネルギーの放出ではないかと思われます」

「吸収されたエネルギーの使用については不明ですが、
10階から上へは、東京電力をはじめ、
いかなる電力会社からも電力の供給は行われておりません」

「上部にあるテラス状のところは、
ヘリコプターなどの発着施設ではないかと推察されますが、
そのようなことが行われた事実はありません」

女は一言ずつゆっくり言うと、指示を仰ぐように男の顔を見た。

(・・・・・)
「はい、ロサンゼルス、シドニー、サンチャゴでは、
それぞれ同種のビルがほぼ完成されており、
リスボン、ケープタウンにおいても外壁ができあがっております」
(・・・・・)
「はい、それらのビルの特色は、いずれも海に近いことと、
地球の緯度南北35度あたりに集中していることです」

どうやら女は男の質問に答えているらしいが、
さっきから男は一言も発していない。
男の質問は直接女の脳へ届けられているのだ。
女はそれを受信できても、自ら発信することが出来ない。
結果として女だけが話しているように見える。
男はよほど、ヘビースモーカーらしく、紫煙が切れることがない。
一度大きく吸い込んで、ゆっくりと前にはき出すと、
ピース独特の甘い香りが漂って、女の顔がかすみ、
その存在をうすくする。

10

(・・・・・)
「はい、おそらく南北35度の間で何かおころのではないてしょうか」
(・・・・・)
「はい、北半球では、人口密集地帯や重要都市があるということでは、
もっと高緯度にワシントン、モスクワ、ロンドン、パリなどがあり、
その意味で軍事上のことではないように思われますが・・・」
(・・・・・)
「はい、もしそれぞれのビルが南北35度に影響力をもつとすれば、
人間が居住しているほとんどの地域を網羅することになります」

男はじっと女の目をのぞいている。
いや、その目の奥、ずっと遠いところを窺っている。
しばらくの沈黙の後、質問が再会されたらしく女が口を開いた。

「はい、それぞれのビルの建築進捗状態に比例するように、
各地で信者の数が急増しております」
(・・・・・)
「はい、信者には年齢や男女差はなく、平均しており、
昨日の推計によりますと、
日本においては、すでに200万人に達しようとする勢いです」
(・・・・・)
「はい、財団の動きは一応把握しております。
相変わらず理事長の古谷はほとんど顔を見せません。
内事関係は専務の佐々木が、外事関係は常務の大沢がそれぞれ担当し、
財団内においては、特に宗教的雰囲気はありません」

ライターの鳴る音がして、一時途切れた紫煙が再び生命を取り戻す。

(・・・・・)
「はい、そのことですが、最近になって財団は富士山麓にある
”新生火山地震研究所”という民間の研究所に
援助していることが判明しております」
(・・・・・)
「はい、世界各地のビルも
それぞれの国において同種の援助施設をかかえている模様です」

(・・・・・)
「はい、わかりました」

女が束ねた髪をほどいた。
長い髪が肩にかかると、女の顔に徐々に表情が現れる。
目が潤いをおびて見開かれ、
形よく引き締まった唇から白い歯がこぼれる。
身構えているようだった肩が丸みをおび、
ゆっくりと組んでいた脚をほどくと、
清楚なブラウスの下で、膨らみが息づき始める。

そこには”モカ”の三枝由美がいた。
ここは由美の部屋である。
彼女は、今、男に教団についての報告を終えたところであった。
部屋の中がもやって、
男の黒いシルエットが立ち上がる紫煙と共に揺らいで見える。

(・・・)

由美は椅子から滑り降り、男の膝に頭をあずけた。
男の指が彼女の髪の中に入り、いとおしむように動き始める。逢い

11

かなり長い階段を下りると、重厚な扉があった。
その表面には八方にトゲの出た円形を
アラベスクが取り囲んでいる図柄のレリーフがついている。
恂子は扉を押した。
「いらっしゃいませ」
黒服に蝶タイの若い男が丁寧に迎えた。
右側にクロークのような所があるだけの殺風景な部屋である。
入ってはきたものの、どうしていいか戸惑っているの恂子のそばに、
蝶タイの男が近づいてきた。
「どなたかのご紹介でございますか」
「いえ・・・」
蝶タイは恂子を下から上へ見上げるようにしながら、さらに慇懃に言った。
「申し訳ございません。ここは会員制になっておりますので・・・」
恂子は何か重大な罪を犯したような気持ちになって身体を縮めた。
頭を下げ、出口に向かおうとした時、
正面の壁が左右に割れて、女性の声がかかった。
「いいのよ、お通しして」
蝶タイの男がハッとしたように威儀を正した。
「失礼しました。どうぞあちらへお通りください」
言いながら、開いた壁の入り口へと先導した。

一歩踏み込むと広い通路を隔てて、
正面の壁いっぱいに絵がが描かれている。
 
 左右に広がる壁面は幅20メートル高さ5メートルもあろうか、
 端の方は薄明かりの中ではっきり見えない。
 最初は近すぎて分からなかったが、どうやら絵は蝶のようである。
 たくさんの蝶が翅を主体として、いろいろな状態に切断され、
 エコーするようにすこしずつ、づらして描かれている。
 中心の輝く太陽が全体を照らし出して、
 一枚一枚の翅は、あるいは明るく、あるいは暗く、
 ひらひら飛び交う蝶の羽ばたきそのままに、
 鮮やかな明度の差を見せている。
 
 左側の空間には、
 蝶の絵とはまったく無関係とでもいうように黒い扉が浮かんでいる。
 それはまぶしい太陽に対して、あまりにも黒く不吉ですらあった。

(地獄への扉みたいだわ)
 
 さらにその壁面の奇妙なところは、
 所々に意味不明の文字が書かれていることである。

(きっと、この文字の組み合わせによって、扉が開くんだわ)
そして、それらすべてが何重にも折り重なって無限の奥行きを感にさせる。
この壁面が何を表現しているのかは分からなかったが、
どこか心の深い部分に、
その構図や色彩の印象がしっかりと刻み込まれていった。

12

 壁面の左右には4メートルほどの広口通路が続いているが、
 次への出入り口のようなものは見当たらない。

(どっちに行けばいいのかしら)
迷っていると、後方の入り口が来たときと同様、唐突に閉じた。
恂子はそれに促されるように、左側へ歩き出した。
右手に壁面が続いている。歩きながら眺めると、
全体に散っている翅の断片だけが、
太陽や黒い扉の前から後ろへ飛び越して行くように見える。
(なんて不思議な絵なのかしら・・・)
神秘的な雰囲気に誘われながら10メートルほど進むと、
壁面の黒い扉の一つが音もなく開いた。

それは大きな紅い花であった。
 花芯に当たる中央部には輝く太い柱が高く伸びている。
 それを中心点として、
 全体の形をそのまま小さくしたような紅い花の形の豪華なボックスが
 十分なスペースをとって六角形に並べられ、
 それぞれ隣り合った二つと正三角形になるような外側にも
 一個ずつボックスが置かれている。
 その周囲には緩いカーブを繰り返したカウンターが、
 花の外側を形作るように、全体を取り囲んでいる。

 床には淡い緑色の厚い絨毯が敷き詰められ、
 ボックスの色と際だった対照を示しているのにもかかわらず、
 全体を包んでいる光はやわらかく、目を射るような強さを感じさせない。

 光源は中央の柱のほかに、カウンターの後部に六カ所あり、
 中央の柱はそれ自体が発光しているように見える。

 どのような仕掛けになっているのか、
 ドームのような天井には、ほんとうの夜を思わせる星がまたたき、
 柱の最上部が徐々に光りを失ってその夜空のなかに溶け込んでいる。
 柱の下部からは噴水が吹き上げ、水は光を受けて七色の虹となって、
 さわやかな音と共に、基底部にある池に降り注いでいる。

恂子の位置からは、10段ほどの階段を下りるようになっていて、
花のような内部が俯瞰出来る。
客の姿は、カウンターやボックスにちらほら見える程度で、
話し声らしいものは聞こえない。
何か得たいの知れないドローンのうえに
時々東洋的な断片がきこえるといったBGMが、水の音に融和している。
{すばらしいわ・・・)
恂子は気持ちとは裏腹に2,3歩後ずさっていた。

(出逢い13~14に続く)
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13

「どうぞこちらへおいでください」
階段の下から、何処かの民族衣装を身につけた、
先ほどの女性が声をかけてきた。
カウンターに座ると、
バーテンが音もなく寄ってきてグラスに氷を入れ、
その上に赤い液体を注ぎ込む。
見ている間に氷が半分ほどに溶けていく。

「どうぞ。ここへおいでになった方は、
皆さんまずこれを召し上がりますのよ」
「ええ・・・」
隣に座った女性は、
恂子がグラスを持ち上げるのを待って奥へ去って行った。

 一口含むと、心地よい刺激がはしる。
 やがて頭の中で絃のトレモロが鳴り始めた。
 故郷へ帰ったような懐かしさが、こみ上げてくる。
 (なんという酒なんだろう。羽衣の紅茶の味に似ているわ)
 恂子は昔からここに来て、
 この赤い酒を飲んでいるような、くつろいだ気分になっていた。

軽く肩を叩かれた。
振り向くと男の胸があった。
緑色のタイピンが柔らかい光をはなっている。
身体が硬くなる。
そして、もう分かっているものを確認するかのように、
恂子はすこしずつ視線を上げていった。

「またお会いしましたね」
かすかに微笑んでいる顔は
この店のムードのせいか、
やさしさの中にも不思議な影を漂わせている。

阿井真舜であった。

「どうして・・・」
「大沢さんと別れた後、一人で飲みたくなって・・・ここへきたのです。
・・・で、あなたは?」
「・・・店の名前を見ているうちに、来てしまいました。
でも、会員制なのに、どうして入れたのかしら」
「ああ、それは最初のドアを開いた所にカメラがセットされているのです。
映っているのがあなただったものですから、
私がママにお入れするように言ったのです。
ええと、何を召し上がりますか?」
恂子はいまほどの赤い酒をたのみながら小首をかしげた。
「私どうかしているわ。
まったく知らない店に一人で飛び込むなんて・・・」
「きっと今日のあなたは、
昨日のあなたとはちがうあなたなのでしょう。
これからは、以前とは別のあなたになるかもしれませんよ」
「そんな・・・」

14

「私たちは、これまで3度出会いましたね。
偶然に2度、そして紹介されて1度です。
教団の階段の時は宿命的出会いです。
つまり、そのようになっていたのでしょう。
”予言の刻”の場合は普通の、
いわば昼の出会いとでもいいましょうか。
そして今、これは運命的出会いです。
二人が相手を意識することによって、運命が動いたのです。
あなたが知らないうちにこの店に入ってしまったのは、
遠い過去にその原因があるのかも知れませんよ」
恂子は阿井の瞳から(又会いましょう)と感じたり、
”アマランサス”という店名に軽い衝撃を受けたことを思い出した。

 広く明るいはずの店内で、
 ほとんど自分の周囲だけしか光が届かない。
 阿井がいる周辺だけが、ぼんやり明るく、
 その他は繰り返されるドローンの中に溶暗している。

「そのほかに夜の出会いがあり、
さらに第5の出会いがあるのです」
阿井は続ける。
「人は皆時間の刹那の点滅の中に生きているのです。
その都度生まれ、死に、
出会い、別れることを繰り返しているのです」

 いまや恂子は最高の聞き手になっていた。
 阿井の言葉のすべてを、いや、それ以上のことを吸収していた。
 宇宙からの微弱な電波をキャッチして逃さない
 高感度のパラボラアンテナのように・・・。
 時間の感覚が失われていた。

 ・・・・・

「さあ、今日はもう帰りましょう」
阿井に肩を軽く叩かれて、恂子は我に返った。
三つの扉を通り、地階から階段を上がって外に出る。
大通りまで歩いてタクシーをとめる。
送って来た阿井は自然な形で恂子の手を取って
何か堅い金属片のようなものを握らせ、
まだぼんやりしている恂子の耳元に
「おやすみ・・・」とささやいた。
タクシーは音をたててドアを閉め乱暴に発車する。
阿井の姿はたちまち人混みのなかに見えなくなった。
(送って来てくれないのね・・・)
新宿歌舞伎町24時であった。

(兆候へ続く)