復活

8,復活

9月中旬を過ぎると、毎日のように起こっているという無感の地震は、
日本ではニュースにならなくなっていたが、
中央太平洋では、相変わらず、微震が続いていた。
今まで洪水騒ぎを起こしていたワシントン島、ファニング島では、
逆に地盤の隆起がはじまって、
9月末日までに全海洋線とも、はぼ1メートル上昇した。
それに歩調を合わせるように、
ポリネシア、メラネシア、ミクロネシアの島々が
軒並み30センチから60センチ隆起し、
特にフィージー諸島では、7月から9月の9ヶ月間に
2メートル13センチという異常な数値を示していた。

関係国はもちろん世界各国でも、
それぞれの立場から必死に対処しようとしていたが、
そのスピードの異常な早さから、データ分析が追いつかず、
ただ口を開けて見守っている観があった。

槙原恂子は、先ほど曲立彦から届いた
「エルニーニョに関する報告書第7」の要旨に目を通していた。
海面水温は例年より8度の上昇になっている。
アラスカでは、氷河が後退し、
あまつさえ南極の氷が緩みだして、一部が割れ、漂流を初めている。
今や、各国はその主義主張を超えて協力し、
真剣に対処していかなければならないと結んでいた。

右手のドアが開いて、スポーツ娯楽担当の連中が、ドヤドヤと入ってきた。
「工藤と森下は順当なところだろう」
「ええ、それに日系3世の王も学生ながら、
たびたびこの方面の紙上を賑わしていますから、分かるとして、
阿部というのは聞いたことがありません」
「青森県出身50歳とあるが、・・・まったくの未知数だ」
相も変わらず大きな声だ。
今日は雀聖戦の準決勝があり、上位4人が決定している。
世界中が動揺し、島々が沈みかねないというのに、
麻雀に命を賭けている人もいる。
7月の地震の時、室内のことはさておき、
取材に行けと怒鳴った山崎のことを思い出す。
人はその立場立場で、
ともかく、当面やらなければならないことを、やっているのだ。
(きっと彼らにとって、麻雀が今やるべきことなんだわ)

ペンダントに手がいく。
最近は、、毎日の練習によって、
10メートルほどの範囲なら、これはと思う人に集中できるようになり、
恂子はちょっと得意になっていた。
今日も近い人から探っていく。
大川の気持ちが一番強い。
大声で腹が減ったと叫んでいるようなものだ。
デスクの山崎を越えて、編集長の岡田遥之の方へ意識を進めていった。
(わからないわ・・・)

今日だけではなかった。
岡田の心だけは、どうしてもつかめない。
ぼんやりとした、
灰色のスクリーンのようなものを感じるばかりである。
(何故かしら・・・)

恂子は目を開いて岡田の方を窺った。
相変わらず机の左側に足を上げ、茫洋とした顔は紫煙にかすんでいる。

(やはり、そうなのかも知れないわ)
岡田はいつも自分たちの先を行っている。
アイスコーヒーが飲みたいと思っていると、岡田から電話がくる。
みんなでモカへ押しかけると、コーヒーが待っている。
それは今、自分が美雪にしていることと同じではないか。
(きっとそうだわ)
岡田には自分と同じ力(パワー)があるにちがいない。
有頂天気味になっていた恂子は、ゾクリと身体をふるわせた。

どうしても岡田の心は読めない。
そうしてみると、岡田はいつもみんなと一緒にいるようで、
どこか遊離しているところがある。
いや、自分からそれを求めているようにさえ見える。
(自分のパワーをコントロールしているんだわ)
恂子は岡田に対して、
前にも増して畏敬の念が沸き上がってくるのを感じる。
とすれば、自分にこの力を与えてくれた阿井真舜も、
岡田と同族ということだろうか。

恂子は化粧室に行って、
今はもうすっかり慣れてしまった方法で、阿井に呼びかけた。
何処にいるかも、何をしているかも分からないが、
恂子が強く念じると、額の中心の空間に彼の姿が浮かびあがる。
だが、現れた阿井は、今までにない厳しい顔をしていた。
(やみくもに人の心を探ってはいけない)
強烈な思念を残して、阿井の姿がかき消えた。
すぐに追い求めるが、もうその影さえ浮かんでこない。
額の前にあった光がスーと消滅した。
{阿井さん・・・」
恂子は思わず声に出して目を開いた。
鏡に映った顔が青ざめている。

席に戻って鉛筆を取りあげたが、何を書いているか分からない。
読み返してみると、まったく文章になっていなかった。
丸めてくずかごに捨てる。
全身に深い疲労感が襲ってきた。
頬のあたりの皮がつっぱり、
目をつぶってじっとしていると、部屋の物音が耳についてイライラしてくる。

「先輩どういたんですか。真っ青ですよ」
隣から美雪が心配そうに声をかけた。
「貧血ですか?」
「ほんとうに青いよ。今日は早くく帰ったらどうだい」
向かいの男が立ち上がって言った。
「えぇ・・・そうするわ」
恂子は、だいぶ前、理佳が早退した時のことを思い出していた。

 恂子はベッドの端に腰掛けていた。
アパートの自室である。
縦に長い部屋は、入り口を入るとキッチンとユニットバスがあり、
その奥に、下に引き出しがついた、ベッドがある。
そして一番奥の窓際に机と本棚があり、
上に小型のテレビと電話機がおかれている。
窓から入る光が陰って薄暗くなっていたが、 
恂子は点灯する気も起こらない。
社からどうして帰って来たかさえ、はっきりしなかった。

「阿井さん・・・」
小さな声をもらして、そのままベッドに打つ伏した。
やわらかい髪が、くの字になった腕に降りかかる。
全身の細胞が反逆を起こしたように活動を拒否し、
胃がシクシクと痛んだ。
いつの間にかベッドカバーを握りしめている。
(私はなんてばかなんだろう)

 自分は今まで、これといった失敗もなく生きてきたような気がする。
 それを当然のように思って甘えてきたのではないか。
 今度のように、何か今までとは違った力を与えられると、
 自分は普通の人間より、優れているのだと単純に喜び、錯覚していた。
 意識するしないは別として、
 心の中で、他の人たちを見下していなかったか。
 
 1年ほど前、林理佳と歌舞伎町を歩いていたとき、
 みんなが二人を振り返って見ていた。
 若い二人の幸福そうな姿に、人々は見とれていた。
 しかし、自分が輝いていることが、
 周りの人たちを傷つけることもあるとは、思いもしなかった。
 人より幸福だったり、優れた能力を持った者は、
 それ故にこそ、
 そうでない人たちのために働かなければならないのではないか。

(それなのに、興味本位で人の心をさぐるなんて・・・)
「ごめんなさい・・・」 
恂子は誰にともなくわびて、起き上がった。
ベッドカバーが涙で濡れていた。
電話が鳴る。
星野美雪の声が呼びかけている。
「先輩大丈夫ですか」という言葉に遠い記憶があった。
恂子自身が理佳にかけた電話の言葉である。
それと同じ、いたわりの気持ちが、
今、美雪から返ってきたのだった。

六星海洋気象研究所のコンピュータ解析室。
壁面の大スクリーンの前には、曲立彦と気象部長をはじめ、
20人ほどの研究員が座っていた。
「それでは映像を送ります」
声とともに部屋が暗くなり、
スクリーンに白黒の回転する球体が映し出された。
地球である。
白い雲に大陸が見え隠れしている。
海洋観測衛星”モモ1号”からの映像である。
球体は回転を止め、一部が拡大される。
太平洋である。

「緯度と経度、それに時間もいれたまえ」
気象部長の声がとぶ。
画面に縦横の細い線がはいり、数字が添えられる。
20度ずつの経度の上方に時計が付加される。
「着色します」
全体が青い海に、
茶褐色の島々が白い雲の間から見え隠れしている姿は、
いかにも平和そのものである。
「早く深度を色別にしたまえ」
曲がイライラしたように言った。
画面を何度も走査線が走り、
浅い所は白っぽく、深いところは濃い緑色になって、
500メートルごとに海の青さが変化していく。
「おっ!」
深度表示が完了しないうちに、
曲をはじめ、何人もの研究員が立ち上がった。
いままで記録されている太平洋の等深線と,
明らかに異なっている。
深度1000メートル以下の部分が異常に多い。
「もっと拡大しろ」
曲が怒鳴った。
スタッフが心得たように、
ちょうど赤道をはさんで白さを増している部分を拡大していく。
「これは・・・」
曲立彦はその縮れた髪の毛を突き出して絶句した。

北はマーシャル諸島から、南はフィージー諸島までが、
ほとんど1000メートル以下のごく薄い青色でつながっている。
また、東の方では、
ワシントン島から赤道をはさんでツアモツ諸島に至るラインが
薄青い色でつながり、
この二つの中間部、フェニックス島やサモア島のあたりでも、
はっきり白さを増している。
「ウーム」
曲は一つうめくと、ドサリと椅子に座り込んだ。
一呼吸してもう一度画面に目を向ける。
500メートル未満を示す白い部分が倍増している。
まるで太平洋の真ん中に、巨大な大陸棚が出来たようなものだ。
一方、その浅海を取り囲むようにしている、
東太平洋、中央太平洋、南太平洋の各海盆は、
それぞれブルーの濃さを増し、海底の沈降を示している。

スクリーンが消え、室内が明るくなった。
まだ立ったままの研究員から、一様に信じられないという声が聞こえる。
「これはプレートテクトニクスの分野だな」
気象部長が話しかけるのを無視して、曲は足早に部屋を出た。
自室の形状記憶ソfァーに潜り込むように座ると、
ここ半年間の禁煙を破った。
パイプから大量に吸い込んだ煙にむせてかがみ込む、
頭がクラクラした。

7 

所長室に飛び込みドアを閉めると、曲は大きくせき込んだ。
「まあ、かけたまえと」いう所長の前のテーブルには、
すでにブルーマウンテンが用意されている。

曲は、この研究所に対して疑問を持って以来、
所長の落ち着きはらった振る舞いまでが気にいらなかった。
早く要件を言えばいいものを。「まあかけたまえ」とくる。

曲の内心を知ってか知らずか、
所長はブルーマウンテンに、ゆっくりシュガーを入れてかきまぜ、
目を細めて飲んでいる。
「所長!」
たまりかねた曲は、声を荒げた。
最近のイライラは異常であった。
大学にいたころは温厚でとおっていた曲である。

「先ほど横須賀の海洋科学技術センターから電話があって、
君にぜひ協力してほしいというんだよ」
「はあ?」
「知ってのとおり、日仏海洋機構調査に参加している
”しんかい6500”なんだが・・・」
所長はコーヒーをすすり、上目づかいに曲の顔色を窺っている。
「プレートテクトニクスの
メカニズム解明のためだと聞いていますが・・・」
「そう、それが今度フィージー近海に潜水する予定だそうだ」
「えっ!」
曲はその位置をたった今スクリーンで目にしたばかりであった。
北フィージーは、その中で最も隆起の激しい海域である。
所長は相変わらず他人事のように続ける。
「今回は太平洋における隆起水域と、たまたま同じだというので、
そちらのほうも調査するらしい」
「・・・・・」
「それで、君にね」
「行きます」
所長の言葉が終わらないうちに、曲は立ち上がっていた。

「行かせてください」
曲はあらためて言った。
「まあ君そう興奮しないでかけたまえ」
「いつですか」
曲はたたみこんだ。
立ったままの曲に、
所長はあきれたように左手であごの下を撫でている。
これが部下ならば
「バカヤロウ」と怒鳴りだしそうに、赤くなっている曲の顔を、
所長は楽しんでいるのだ。

(ふざけやがって)
曲は両のこぶしを握りしめた。
所長は残ったコーヒーをゆっくりすすり上げ、
下に沈んだシュガーさえなめそうにしてから、おもむろに口を開いた。
「母船はもうシドニーに入っているそうだ。行ってみるかね」
語尾をひょいと跳ね上げ、またあごの下に手をやってニヤリと笑った。
「行かせていただきます」
「フム」
所長は鼻先で答えて立ち上がった。
もう帰れと言わんばかりの態度である。

(くそ、あんなにじらしておいて、決まった途端の態度はどうだ)
曲は、なぜ自分がこんなにイライラするのかわからないまま、
あの地震以来だと、
ほかに、その原因を求めながら、所長室を出ていった。

そして3日後の早朝。
曲立彦は、シドニー港を出港する
”しんかい6500”の母船”よこすかⅡ”の甲板にいた。
黎明の霧の中に、白々とした街並みが徐々に遠ざかっていく。
その中程に一際高く、”天の羽衣教団”の異様なビルが見えていた。
曲は”いるかⅡ号”の船上で、
教団ビルが、海中からしぶきを上げて躍り出る幻想にとりつかれ、
未来に不安を覚えたものだった。
(そして四倉を失った・・・)

彼は今回の新たな出発にあたって、
再びこのビルと相対することになった偶然に、
さらに不吉な思いを募らせないわけにはいかなかった。
前回のように異常かどうかを調べに行くのではない。
はっきりと異常を示している海に潜ろうというのだ。
曲はプレートテクトニクスの専門家ではないが、
どう考えても理論のみによって解決出来るようなものではない。
もっと異質の尋常ではない何かが、隠されているような気がした。
(しかし、そんなことはどうでもいい。
いかに危険であれ、この海に潜ることは願ってもないことだ)
曲はすっかりもとに戻ってしまったマドロスパイプをくわえ、
大きく吸い込んでむせ、はげしく咳き込んで涙がでた。

「部長、朝食の準備ができました」
同行した研究員が呼びにきた。
食欲がない。
考えてみると、昨日の夜から何も口に入れていない。
空はどんよりと曇り、まるで朝が来ることを拒否するように、
海は輝きを失っていた。
(俺は病んでいるのか・・・)
曲は、やおら船室のほうへ歩き始めた。

10

朝、出勤前。
槙原恂子は鏡にむかっていた。
均整のとれた白い卵形の顔がいつもの潤いを失っていた。

「阿井さん・・・」
かすかに動いた唇から吐息が漏れる。
化粧を終え、迷ったあげく、決心して胸のペンダントに触れる。
目を閉じる。
額の中心から光が広がり、身体全体を包み込む。
眠れない夜を過ごした疲労が、ゆっくりと引いていった。
しかし、阿井は現れない。
光の中の扉を開こうとしても、意のままにならない。

(しかたがないわ、私が悪かったのだから)
恂子は不思議なほど素直な気持ちになっていた。
鏡に向かってほほえみかける。
「でも、私の気持ちは変わらないわ、阿井さん」
声に出して言ったみる。
悲しみを超えたほほえみが返ってってきた。

11

編集部に入ると、槙原恂子は一番に岡田遥之の机に行って、
「昨日はご心配かけまして」と挨拶した。
明るい声である。
みんなが心配して声をかけてくれるのが、
心を読むまでもなく肌で感じる。
「自分が素直になった時には、技術は必要ない」
と言っていた、阿井真舜の言葉を思い出す。
席に着くと星野美雪に「昨日はごめんね」と言った。
美雪は「もういいんですか」と言って立ち上がり、お茶を淹れてくる。
二人はほほえみあって、お茶をすする。
色が付いただけのお湯でさえ、今朝は美味しく感じる。

恂子はすぐに昨日の仕事の続きにかかった。
最近は編集部の出社が早い。
中央太平洋で異常な隆起が始まってからというもの、
世界中が注目しているこの事件に、いかに対応するかが、
朝夕新聞を含めての課題になっている。
当然のことながら、政府もこの問題を重要視して、
科学技術庁をはじめ、各省庁の協力のもとに、
観測体制づくりに乗り出した。
それを受けた海洋科学技術センターは、
今年度の日仏共同海洋機構調査の中に、特別なスタッフを組み、
フィージー沖で潜水予定の
”しんかい6500”の乗組員として参加させることになっていた。

「曲先生も潜るんですね」
美雪が参加スタッフの名簿を見ながら言った。
彼女の机の上には、もう書き上げた原稿が4,5枚乗っている。
「ごくろうさん、だいぶ早くから頑張っていたみたいね」
自然にねぎらいの言葉がでていた。

12

(どうやら大丈夫のようだな)
窓からさす、やわらかい光を背に、岡田遥之が紫煙を吹き出している。
岡田には、槙原恂子が天の羽衣教団導師、阿井真舜に出会って、
覚醒したことは、すでに分かっていた。
それは、彼女の体内にまどろんでいる、
遠い昔から伝わる血のなせるわざである。
(しかし何故・・・)
それがどうして、これから相対するであろう、教団の中枢人物、
阿井真舜によって覚醒しなければならなかったのであろうか。
たしかに岡田は恂子を教団の取材に差し向け、
彼女は何度か阿井に会っていることも知っていたが、
しかし、彼女はもともとこちら側に人間であり、
我々サイドの者たちとして覚醒する確率が100倍も高いのだ。
岡田は長くなったタバコの灰を落とし、もう一度吸ってから灰皿にもみ消した。

彼には編集部にいる人間の動きをはじめとして、
ある程度の未来さへ見通すことが出来た。
それに月刊誌を隠れ蓑にする、世界的組織”GOO”の情報網を通じて、
地球上の動きはほとんどチェックしている。
それゆえに・・・だからこそ。
恂子の動向が気になった。
それが何であるかは分からないが、
恂子のなかに、これからの人類の流れを変えるようなことが
隠されている気がした。

彼女は最近自分の能力に酔っているようだ。
だが、今日は違う。
彼女の中に、また変化が起こり、軌道修正しつつあるではないか。
岡田は机の上から足を下ろし、
イボイボの健康器をあるパターンによって踏んでいった。
教団の”破の舞”は太平洋の海底を操作し、隆起と沈降を起こさせている。
いったい何の為にそんなことをしなければならないのか・・・。
(彼らの故郷”ムー大陸”を、再び浮上させようとしているにちがいない)
岡田がここ半月以上にわたって一睡もせず、
超古代からの遺跡や文献を調べて解析した結果得た、第一の結論であった 

13

「破の舞進行中。ガス移動順調。計画領域浮上予定どうり」
コンピュータの声が聞こえていた。
それは、誰のために語っていると言うわけではない。
定時の報告であろうか。
この部屋、教団ビル60階の紫色の霧の中には、人影はおろか気配さえない。

2階下、58階にもその声が流れていた。
ここも紫色の霧がたなびき、たくさんの書物らしいものが山積みにされている。
それは単に書物というだけではない。
石版、粘土板、金属板、竹筒をはじめ、
羊皮紙やパピルスなど、ありとあらゆる書物と言ったほうが良いかもしれない。
そしてそのほとんどは、触れればすぐに崩れてしまいそうな年代を感じさせる。
世界中のマニアが、
どんなことをしてでも手に入れたいと願っている、古文書であった。

霧がわずかに発光し、書物の山の中心に、長身の男の姿がにじみ出た。
阿井真舜である。
彼はすぐに、一つの石版を取りあげてじっと見つめ、
よし、というように次の石版に手を伸ばす。
彼は今、未来のムーのあるべき姿を創造しているのである。
古代ムー帝国は言うに及ばず、可能なかぎりの時を翔んで、古文書と照合し、
その事実に基づいて新しいムーを設計しているのである。
いや、ムーをふくむ全世界といったほうが良いかも知れない。
その中には、政治、経済、文化、科学、芸術、そして宗教に至るまで、
あらゆる分野の未来像が包含されていた。
その意味で彼は、神の領域にまで踏み込んでいるのである。
彼の思考が一瞬変化し、その手がすこし脇へそれれば、
世界は、まったくその様相を異にするであろう。
文字どうり、一瞬も気が抜けない作業であった。

14

「破の舞進行中。強化オリハルコン注入開始」
(始まったか)
阿井は作業を続けながら同時に思っていた。
遠い祖先の残した偉大な遺産。
”オリハルコン”
それは現在教団の科学力によって、真空中で量産され、
他との合金も可能になったことから、
教団ビルの外壁など、あらゆるものに応用されていた。
そして今、崩れたガスチェンバーを再生しながら浮上しようとしている、
岩盤の再生触媒および接着剤として、
ゾル状の強化オリハルコンが注入されたのだ。

その時、阿井の超感覚は別の波動を捉えていた。
槙原恂子の呼びかけである。
彼は未だ彼女との心の回路を開いていない。
アマランサスで彼女の体内に眠るマグマを感じた時、
阿井は瞬間に未来を観ていた。
それは、彼女が相対する側にいるという条件を超え、
阿井や教団だけに留まらず、人類全体にとって大切な存在であるとみえた。
だから恂子とは、個人的な感情と別の次元でも、
優しくしかも厳しく接していかなければならないと思った。
(彼女なら大丈夫だ)

槙原恂子に関して、
相対するはずの阿井と岡田にもかかわらず、
奇しくも同じ見方をしている。
しかし、その存在が何故大切なのか、
それは二人にも、まだはっきりと分かっていないのである。

15

曲立彦は緊張していた。
これから、初めて実際に海底へ潜るのだ。
だが、そのことばかりが緊張の原因ではない。
何か、途方もない現象に出会いそうな予感がする。

彼は、支えようとするクルーを制して、
直径2メートルはあると思われる耐圧室に滑り込んだ。
壁面は、器機で埋まっていて。
パイロットの小田桐と、コ・パイの白戸が、
表を見ながら最終チェックをしている。
曲は出航以来、もう顔なじみになっている二人に黙礼し、観測席につくと、
すでにシュミレーターによって練習済みの器機を確認していった。
やがて、海面下6500メートルまで潜水可能で潜水時間9時間という、
世界最高の自走式潜水調査船”しんかい6500”は、
その全長9.5メートル、重量25トンの巨体を静かに沈め始めた。

スピードは徐々にあがり、美しい南の海はゆっくりと暗黒に包まれていく。
「深度500,異常なし」
白戸が言うと、小田桐が曲のほうへ首を回した。
「先生、2000メートルまで、一気にいきますよ」
ニヤリと笑って白い歯を見せる。

一つを除けば打ち合わせどうりであった。
その一つというのは、この付近に海底が、
地図に示されているものより、約1000メートルも隆起していたことである。
前々日に潜った海洋科学技術センター側の話によると、
隆起面と海盆との間には、約60度の崖が形成され、
最深部では、逆に沈降していることがわかった。
昨日、再度の潜水により、
隆起速度は毎時40センチという信じられない数値を示し、
計器類を再チェックしたほどであった。

16

そして今日,
曲は3000メートルであったはずの2000メートルの海底に着底した。
「曲先生、ここが問題の海域の北の端にあたります。
もう50メートルほど北へ進むと、海盆へ滑り落ちる崖になります」
曲は、のぞき窓からライトに照らし出された海底に目をやる。
ゴロゴロした岩状のところに泥のようなものが被さり、
それが時々舞い上がっている。
(静かだ・・・)
この海底が超スピードで持ち上がっているとは、とても信じられなかった。

小田桐が母船へ現状を報告してから、あらためて指示を求めた。
「崖を降下しましょうか」
「お願いします」

崖にそって1000メートルほど降下する。
やや角度がゆるやかになり、
周囲には多数の卵形の岩がころがっている。
流れ出た溶岩が、
一瞬のうちに海水で冷却されるためにできる、枕状溶岩である。

「右方2時の方向に熱水噴出」
曲はライトの光のなかで、目を凝らした。
崖の斜面に12,3本のチムニーが出来て、
煙のようなものが噴出している。
「熱水温度260度。深海生物は見当たらない」
白戸が言った。

17

船はさらに下降、2800メートルの海底すれすれに崖を離れて行く。
2キロほど進んだであろうか。
海底に幅10メートルほどの細長い亀裂が見え始めた。
「あの縁まで言ってみてください」
曲が小田桐に指示した。

船は亀裂の上部まで来て静止する。
「おっ!」
亀裂の縁の小岩が動いた。
いや、その中に転がり込んでいるのだ。
それは、ハイスピードカメラで捉えられたように、
最初はゆっくり、
やがてゴロゴロと回転して暗い奈落へ吸い込まれていった。
白戸がマニピュレーターをを操作して岩石の採集にかかる。

突然船が後方へ大きく飛ばされた。
上下の感覚が何度も逆転する。
曲は必死にシートにしがみつく。
だが、小田桐は、
巧みに両横のプロペラを操作して舟を安定させた。
「マニピュレーター、操作不能。主推進器異常なし」
白戸の声を聞きながら、
小田桐は自分でも器機をチェックし、母船に報告している。
「亀裂の沿って崩れたのですね」
「そうです。手元の計算によっると、
長さ600メートル、幅30メートルほどが、斜めに削り取られたようです」
「それにしても驚きました」
「まあ、このくらいはよくあることですよ」
小田桐が白い歯を見せた。

18

初めての潜水を無事終えた、曲立彦は、
今、正に水平線に沈み込もうとしている真っ赤な夕日を見ていた。
百万の宝石をちりばめた、光の帯が眼下まで続いている。
それは、これからやってくる闇を想像するには、
あまりにも華やかで、美しく儚い。
まるで、もう明日はないとでもいうように、
すべてをこの一瞬に燃焼しつくして、激しく切なく訴えかけてくる。
太陽がそして海が主張していた。
<自然は自然にあるべきだ>・・・と。

19

10月にはいり、あちこちで紅葉の声がきかれるようになってきた。
遠く離れた太平洋で、何が起ころうと、
いや、たとえ隣で殺人が行われたとしても
無関心を決め込む人たちが何と多いことだろう。
ここ東京でも、その無関心故の事件が毎日のように起こっていた。

「人口が増えすぎたのよ」
NO3が言う。

「その中で、ほんとうに生き甲斐を持っている者は、
どれくらいいるのかしら」
「それだけならいいのですが、
生きることが他にとって非常に悪である連中がたくさんいるのです」
NO4が真面目な顔で付け加える。
「ある意味では死にたがっている人も多いんじゃないの」
「教団の中だけではなく、一般の人たちでも、
そんな人には安楽死を与えてやるべきだと思います」
「一石二鳥ってわけね」
「そうです。食料やエネルギーのことを考えると
今でも世界の人口は多いくらいです」
「方法は別としても
世界平和のためとあらば、実行することになるだろうな」
NO1が締めくくり、コンピュータに破の舞の進行状態をたずねる。

20

「”破の舞”進行中。
メラネシア、ポリネシア、ミクロネシアとも現在予定の3/5を終了。
なお浮上中」

(12月になるな)
(そうです。いよいよ我々の国土の復活です)
「”破の舞”進行中。メラネシア第23ガスチェンバー破損」
(フム、そんなこともあるだろう)

教団の”破の舞”は中央太平洋の海底をハイスピードで押し上げている。
それは海底にある岩盤の空洞に、
火山性のガスを送り込むことからはじまった。
岩盤は膨張し上部を押し上げていく。
それと同時に基部は四方から押され、さらにスピードをあげる。

「”破の舞”進行中。トンガ海峡プレートの沈み込み順調」

中央太平洋の重力減少により、
ゆっくりと潜り込んでいたトンガ海溝のプレートが、
次第に速度を増し、フィージー諸島を中心に急激な隆起が起こっているのだ。
要所要所に教団が開発した強化オリハルコンが注入され、
それぞれのガスチェンバーの外壁に、
通常の何十倍もの粘着力と堅固さを与えていた。
問題の海域は、3000メートルの海底がすでに1800メートルまで隆起し、
海上部分においても、月に1メートルの速さで地盤が上昇を続けている。
現地には毎日のように報道陣や科学者グループが往き来し、
どんなに無関心を決め込んでいる人たちも、
ただ漠然と眺めているわけにはいかなくなっていた。

21

槙原恂子と、星野美雪は、
現地から送られてくる情報をまとめるのに忙しい。
他の連中も、編集長の岡田と二人のデスク以外は、全員出払っていた。
「先輩、これでどうでしょうか」
美雪がグラビアのレイアウト案を見せた。
中心に海洋観測衛星”モモ1号”による現地写真が載っている。
青い海原に、はっきりと浅い白い部分が浮き出し、
左右に翅を広げた蝶が、
北西へ向かって飛翔しようとしている姿を彷彿させる。
「すばらしいわ、OKよ。デスクにまわして・・・」

言いながら恂子は、アマランサスの蝶の壁画を思い出していた。
最初にあの壁画を目にした時から、
彼女は蝶の群れに暗示的な強い印象を受けて、
忘れられないものになっていた。
手がペンダントに触れる。
目をつぶると幸福の光が身体を包んでいく。
阿井真舜の姿は現れない。
恂子は、目を閉じたまま、しばらくじっとしている。
心が鎮まってきて、
あの壁画が、
やはり、この隆起部分を象徴的に表現しているのだと分かってきた。
空からは、さんさんと太陽の光が降り注いでいるのだ。
(でもあの黒い扉は何かしら)

22

右手のドアが勢いよく開いて、
大山と小山のヤジキタコンビが飛び込んで来た。
彼らはたった今現地から戻ってきたところである。
「驚きました。予想以上です。
特にフィージー諸島の隆起は、とても信じられません。
地表面は3メートル以上持ち上がり、
近海の浅い部分は海上に姿を現しているんです」
「隆起の速度は」
小山の報告に、デスクの山崎が質問する。
「現地で六星海洋気象研究所の曲部長にインタビューできました。
彼によると、隆起の開始は7月1日の地震の時と推定され、
その速度は3000メートルの海底で、時速40センチ、
1000メートルで、その1/10、
300メートルの浅海では、さらにその1/10の、
0.4センチとなっているそうです」
「で、原因は?」
「トンガ海溝で急速にプレートが沈み込んでいる他は、
はっきりしたことは分からないのですが、
四方から海底が押し上げられて、その分周囲が沈降しているそうです」
「”しんかい6500”で潜ったんだろう」
「ええ、決死の調査だったそうです。
急激な隆起のため、問題水域の海底に長い亀裂が走り、
それに向かって
逆方向から崩れ現象が起こっているのが確認されました。
浮上しつつある部分の周囲がどんどん沈み込み、
それを埋めるように海底が移動しているのです」
「うーむ、で、住民の反応は」
「問題水域を囲む中央、東、南の各太平洋海盆は、特に沈降が激しく、
20メートル以上の水位上昇となり、住民は避難を始めています。
しかしフィージーをはじめ、一般的にはわりと冷静で、
彼らの話によれば、”神の怒り”だとのことでした」
小山の報告が続いている。

23

大山がどうも腹が減ってこまるなどといいながら、
恂子たちのほうへやって来た。
「すごかったぜ、あれこそが自然の芸術ってェやつだな。
あたしゃチャーター機から眺めて感動したよ」
一人で騒いでいる。
「太平洋に大きな蝶が舞いだしたって感じだな、ありゃー」

そうだ、まったく自然の創造した芸術としか言いようがなかった。
恂子たちも、たった今、
”モモ1号”からの映像に目をみはったところである。
現地の上空から見て回った大山たちは、
さぞかし驚いたことであろう。
「えつ、本当、すごいわねー」
美雪が相づちを打った。
(ウフフ・・・)
恂子は心の中で微笑む。
自席で、黙って山崎たちの話を聞いていた岡田が、ゆらりと立ち上がった。

24

扉を押して入ってきた岡田を見て、由美は胸が熱くなってくる。
彼が現れる数分前から、由美は彼の波動をとらえていたが、
その数分間が、何とも言えず待ち遠しい。
すでに火にかけておいたサイフォンに、特製のコーヒーを入れ、
カウンターの前を通っていく岡田に、はずんだ声をかける。
「いらっしゃいませ」
ここ半月以上、岡田は由美の部屋を訪れていなかった。
教団の”破の舞”について詳しく調べる必要があるのだと言っていた。
「コーヒーでしょうか」
コーヒーなのは分かっている。
他の客の手前訊いている。

岡田は頷きながら由美の頭の中に、
扉のそばのボックスにいる客について尋ねている。
その客は、これまで2,3度店に来ている。
週刊誌を読みながら、ひっそりとコーヒーを飲んで帰っていく客である。
その客に注意するようにと、岡田から由美に無言の指示があった。

前に逢った時、岡田は忙しくて寝る暇もないと言っていた。
それは彼の場合、文字道理眠っていないことだった。
由美の部屋で一夜を過ごした時でさえ、
添い寝してくれただけだったような気がする。
(いったいいつ何処で眠っているのかしら・・・)
由美は、岡田によって覚醒されてから、5年近くにになるのに、
彼の動向については、ほとんど分からない。
それをいっこうに不満に思わない自分も、不思議であった。

岡田専用の豆の香りが、あたりに広がる。
温めたカップに、心を込めたコーヒーを注ぐ由美は、
それだけで、幸せで、満たされていた。

25

「ママ、何を考えてんだ」
カウンターにいた二人の男のうち一人が上目遣いに由美を見た。
「別に何も・・・」
「いい人のことだとさ」
別の一人が言った。
「ホウ、好きな人がいるのか」
「ええ、たくさんいるわよ」
由美は微笑みながら
コーヒーとミルクを載せたトレイを岡田の席へ運んでいく。
「ママはいつだって冷たいんだから・・・帰ろうか」
カウンターの一人が、もう一人を促して立ち上がった。
扉側のボックスの客も後を追うように出て行く。
客が岡田だけになって、”モカ”には、音楽と香りの時間が流れる。

26

岡田がカウンターに移ってきた。
「結論がでたよ」
「えっ、なんですの」
「ムーの復活だ」
「ムーの・・・」
「天の羽衣教団は、ムーの血を受け継いだ、超能力者の集団だ。
彼らは同じ血を受け継ぐ者を集め、
12000年前に太平洋に没した国土を、復活させようとしているのだ」

岡田は胸のポケットに手を入れて由美を見る。
素早く察した由美は引き出しから紫色の小箱を差し出して渡し、
マッチを擦る。
しばらくの沈黙の後、岡田が話題を変えた。
「恂子が覚醒した。天の羽衣教団の導師、阿井真舜がそうさせたのだ」
「どうして彼女が教団の・・・」
「いや、恂子はまだ自分を、ほんとうには知らない。問題は阿井だ。
何故GOOの血を引く我々サイドの者と知っていて、覚醒させたのだろう」
「なぜでしょうか・・・」
「彼女は彼にとっても必要な存在なのだろうか・・・
そんなことを超えて、真の意味で愛し合っているのかもしれないが・・・」
「きっと、そうですわ」
由美は我が意を得たりというように、
しかし、控えめな声で言った。
(愛はすべてを超えるのですわ。私がそうだから・・・)
一瞬二人の目が合った。

27

岡田は由美の大きく見開いた瞳の中に、
恂子と阿井の、愛の秘密をみたような気がした。
恂子に対して、大切にしなければいけないと思っていた理由も、
朧気に分かりかけていた。
(二人が愛し合うことが、人類にとって必要なのかも知れないな)
岡田の思いに紫煙が揺れる。

どうやら予言の刻で語られてことは当たっているようだ。
ムーの血を引く者として、今世界中を混乱させている教団の計画と、
それを回避しようとしているGOOの仲間たちとが、対立しているのだった。

「羽衣をみたことがあるか」
岡田がまた話題を変えた。
「羽衣・・・ですか」
「そうだ」
「三保の松原の伝説なら・・・でもお能には行ったことがありませんわ」
「教団は羽衣を探しているのだ」
それがこの半月で得た、岡田の第二の結論であった。

28

11月のある深夜。
黒々と屹立いている教団ビルの頂上から突然火花が散った。
たまたま目撃した者がいたとすれば、
東京中何処にいても分かったであろうほどの、
強烈なスパークであった。
近くには異常はなかったが、
伊豆の別荘地で、窓ガラスが割れる騒ぎがあった。
しかし、それはほんの一瞬のことであり、
ましてや、ロサンゼルス、シドニー、サンチャゴにおいても、
同様のスパークがあったなどとは、
その時点で誰一人知るよしもなかった。

一ヶ月が過ぎた。
その間中央太平洋の隆起は、
最上端が海面下500メートルのところで停止していた。
いまや、衛星写真によるまでもなく、
北西に傾いて飛翔しようとしている、蝶の姿がはっきりと現れ、
不気味な静寂を保っていた。

そしてここ東京。
新宿には雪が降っていた。
かってなかったような大雪である。
ジングルベルが流れるなか、
妙にぼやけたイルミネーションが、白い街に沈んでいた。
(きれいだわ・・・)
槙原恂子は、月刊GOO編集部の窓から外を眺めている。
彼女ばかりではない。
席を外している岡田を除く全員が窓に寄ってきていた。
恂子は大好きな夢道人の詩を思い浮かべる。

 雪が降る、雪が降る
 音もなく降り積もる
 人の世の喜びも悲しみも
 白くつつみ眠らせる
 ・・・・・・・

(雪がすべてを浄化してくれている・・・)
恂子は、世界中で起こっている未曾有の混乱でさえ、
やがて自然が解決してくれるような気がした。
手がペンダントにいき、目をつぶる。
光の雪が降っている。
恂子は心を込めて呼びかける。
雪が生まれている原点が接近し、光が八方に散る。
そこに阿井の姿があった。
(・・・!)
恂子の唇から小さな吐息が漏れた。

編集長の机で、けたたましいベルの音がした。
皆が呪縛を解かれたように動き出す。
受話器を取ったデスクの山崎の耳に、岡田の怒鳴り声が響いた。
「水道橋へ行け!」

29

「”破の舞”進行中、主要部分海面まで500メートル。現在停止中」
紫色の霧の中にコンピュータの声がうつろにこだまする。
(どんな時でも無感動な声ですね)
NO4のすこしざらついた波動が伝わる。
(イライラしても仕方があるまい)
(”羽衣”はまだですか)
時の旅人、NO2、阿井真舜が訊いた。
(4大支部の”白のお方”が探査中です)
(だいぶ人心を惑わしているようじゃないの)
NO3の皮肉な波動が割り込む。
(まあ、そういうな。彼らでさえ、
そうしなければならないほど、困難なことなのだから)

 11月に教団ビルで起こった激しいスパークは、
 この上に住む”白のお方”に原因があるらしい。
 そう、彼が通常の探査波に
 自らの霊波を融合させた瞬間に起こったスパークである。
 そしてその後一ヶ月余、
 太平洋岸の四つのビルの頂上から、放射された融合探査波が
 一点に集中され、
 はるか太平洋の海底、地殻の内部を走査していたのである。
 ”羽衣”を見つけるために・・・・・。

(たしか教団に伝わっている石版の文字が、
一部解読されたところによると、
”羽衣”はムーが沈んだ刻、同時に失われたということでしたね)
(そうだ、それは未だ太平洋の奥底に眠っているはずだ)

 母なるムーの甦るとき
 六つの青き息吹に誘われ
 再び闇より解き放たれん
 そは羽衣
 虚空に舞う

NO1が一部を暗唱した。
それは、彼らの未来を予言しているものとされ、
教典として、敬い親しんできたものであった。
そして今その時が迫っている。
羽衣さえ見つかれば・・・。 

静かに刻が移っていく。

30

「オゥ!」
4人が同時に快哉の声を上げた。
「”羽衣”発見。現在作動位置へ移動中」
コンピュータが無感動に告げる。
中央太平洋、海面下650キロ、20万気圧。
それは、6個の銀白色をした球の集合体であった。
四方から目に見えない力で捉えられ、
徐々にスピードをあげながら、上昇していく。
アセノスフェア、リノスフェア、地殻・・・
やがてその集合体は、
たくさんの空洞をもつ隆起陸塊の中央部に位置して、
いったん停止すると、
6個の球体が解き放され、それずれが水平に分散した。

「”羽衣”予定位置に移動完了」
コンピュータの声に重なるように”白のお方”の思念が伝わる。
(”羽衣”即時作動!)
ビル全体が極超低音のうなりに振動する。
次の瞬間、全東京のイルミネーションが光を失った。
はるか彼方、中央太平洋の隆起陸海の内部では、
6個の白銀球が、12000年の眠りから目覚め、
周囲に青いマイナスの光を放ち始めた。

その時、阿井の超感覚に、
槙原恂子の心からの呼びかけが響いていた。
(アマランサスで逢いたい)
阿井は、決心したように自らの想いを送信した。

31

岡田の電話で駆けつけてみると、
水道橋付近はパニック状態となっていた。
かなりの数のビルが倒壊し、
ひび割れて途中から折れ曲がっているものもある。
E電が脱線横転し、おびただしい車が、
まるで箒で掃かれたように、道路脇に寄せられていた。

上空では、東京ドームの屋根が
大型のアドバルーンか飛行船さながらに、
ちらつく雪のなかに舞い、
散乱したコンクリートや、ガラスの破片のあいだには、
目を覆う死体がころがっていた。

あちこちで燃えている火や煙の隙間からは、
かん高く叫びあう声が聞こえ、
救急隊が負傷者の応急手当をしたり、
死者を運び出したりして動き廻っている。
雪と周囲の混乱のため、救急車が、思うに任せず、
自衛隊のヘリコプターの出動が要請された
下界の騒ぎを睥睨してそそり立つ
天の羽衣教団ビルの中程の高さに、いくつかの機影が見える。

カメラマンの良ちゃんがすぐに行動を開始した。
弥次喜多コンビは被害情報のチェックに、
恂子と美雪は、目撃者を捜してインタビューに駆け回る。
目撃者によると、ズーンという低い音とともに
教団ビルが数秒間身震いするように振動しただけだという。
しかし、
その直後突然周りのビルが崩れ、E電が脱線したのである。

地震予知連絡会の委員に意見を求めたところ、
まれには、
直下型の地震で、局地的に強い揺れが発生すすることもあるが、
今回のように、数秒で停止することはなく、
おそらくこれは、きわめて大きな低周波の塊が
吹き抜けたのではないかという見解を示した。

午後9時、都知事を本部長とする、
災害対策本部の共同記者会見に臨んだ恂子たちは、
発表内容にしばし茫然とした。
現在確認されただけでも、
死者358人、重軽傷者4000人におよぶという。

太平洋側の、他の三つの教団ビル付近においても、
同様なことが起こったという情報についての質問に、
当局からの回答があった。
その情報は事実であり、
直ちに教団ビルの立ち入り捜査が行われたが、
9階までの人間は、まったく要領を得ず、
令状を持った捜査官が、18階まで上がったが、
目に触れた人間は一人もいなかった。
しかも18階から19階へ上る手段は、
階段やエレベーターはおろか、
通気口に至るまで、何一つ発見出来なかったというのである。

今の恂子には、最初の財団訪問の時に大沢が話していた、
教団の戒律のことが分かるような気がした。
(きっと、何かの超自然的能力がないと、
上へは、行けないのに違いないわ)

32

午前0時すぎ、恂子は社に戻って原稿をまとめ終え、
一人歌舞伎町へ向かっていた。
今はもう、店ゝのイルミネーションも復旧し、
繁華街にはクリスマスソングが流れている。
つい目と鼻の先で大事故があったことなど、
ほとんど感じさせない人の波である。

(アマランサスで逢いたい)
光の雪が降る中で、阿井は確かにそう言った。
(ゆるしてくれたのね・・・)
恂子は降りしきる現実の雪の中を、
ペンダントに手を触れながら、真っ直ぐ前を見て歩いていた。
どういうわけか周囲の人たちが、彼女に道を譲っている。
やがて彼女は、確信に満ちた足取りで右へ曲がり、
アマランサスへの階段を下りていった。

太陽のレリーフのついた扉が開く。
中は無人であった。
恂子は、正面奥の壁に近づいていく。
壁は待っていたように左右に分かれる。
阿井が立っていた。
恂子は、両足を揃えて立ち止まり、大きく目を見開くと、
今度は、彼に向かって走り寄った。
だが、ほんの4,5メートルの距離なのに届かない。
阿井のところにたどり着かないのだ。
それでも走った。
蝶の壁面が阿井の後方に迫ってくる。
さらに走った。
まだ届かない。
前方に見えていた蝶の壁画が左右にもある。
そして、天井にも床面にも一面に蝶が飛んでいる。
恂子は懸命に走った。
両目から涙があふれる。

ふいに、床面が消失した。
恂子は回転しながら、
蝶の舞う空間をどこまでも落下していった。

33

”時の部屋”
阿井真舜が創造した空間である。
そこは、はぼ1万年の過去から現在に至る、
あらゆる時空間に通じていた。
未だ彼以外誰一人として足を踏み入れたことのない、
いや、踏み入れることの出来なかった場所・・・。
しかし、恂子はやって来た。

「愛の力だ」
阿井は片隅の寝台に近づきながら独りごちた。
そこには、時の壁を超えた衝撃に失神した恂子が横たわっていた。
やわらかく目をつぶっている白い顔は、安らかで気品に満ち、
その両側からシーツに落ちている黒髪とのあいだに、
ある種、情感の対立が感じられた。
見下ろす阿井の瞳に風波がたった。
彼はゆっくりとかがみ、
わずかに白い歯がみえる恂子の唇に、
静かに自分のそれを重ねていく。
恂子は阿井の新鮮な生の息吹を受けて目を開いた。

(阿井さん・・・)
胸の中で、阿井の息吹が発火した。
それは、みるみる燃え広がり、
深紅の炎となって全身を駆け巡ると、唇の接点から逆流していく。
阿井は彼女の体内からあふれ出る、灼熱の流れを感じていた。
あとからあとから、つきることを知らない愛の炎であった。
それは彼の体内を隅々まで満たし、さらに激しく押し寄せて来る。
(・・・・・)
阿井は声にならない叫びを発した。

突然部屋がゆがむ。
室内にあるものが次々と消滅していく。
机が椅子が書棚が寝台が、
そして彼らの身につけている衣服までが・・・。
今、阿井真舜は、自らの手で、
自らが創造した空間を崩壊させたのである。

(・・・・・)
恂子も、心の中で叫んでいた。
彼ら二人以外のすべてのものが消滅していく中で、
恂子と阿井は宙に浮いていた。
全裸でしっかりと抱き合い、ゆっくりと水平に回転していた。
二人の愛は二人だけの空間を創造し、満たしていた。
感覚器官が独立性を失い、目も耳も鼻も、舌も
すべてが二人の接点に集中していった。
・・・・・・・

34

虚空に蝶が舞い始める。
赤、青、黄色、何千、何万、何億、何兆。
色とりどりの蝶が、二人の周りに氾濫していた。
恂子はその時、
自分の中心から再び逆流して、刻々と自分を満たしつつある、
愛の潮に翻弄されながら、
夢のように展開する絵巻物に見とれていた。

 さんさんと降り注ぐ太陽。
 美しく広い内海、白い六角の石柱、壮麗な神殿、
 網の目のような水路、きらめく人工の滝・・・。
 そして河畔に佇む男。

眩暈をを感じる中で、すべてが眼前を通過していく。
恂子は、それがムーの首都、水の都ヒラニプラであり、
阿井真舜が時の旅人であることを肌で悟っていた。

二人の周りを乱れ飛ぶ蝶が、徐々に速度をましてきた。
恂子は自分を余すところなく満たし尽くしたものが、
一気に飛翔する時の予感に緊張する。
刹那、
恂子の体内からあふれ出した愛の潮は、
唇の接点から、津波となって阿井の体内に流れ込んだ。
一瞬遅れて彼の内奥からも、灼熱のマグマが噴出する。
二つの流れは合体して彼らを繋ぎ、
二人のあいだを高速で回転した。
宙に浮いた身体も回転する。
億万の蝶も回転する。
三重の螺旋は、今やすべての色彩を脱して、
真っ白な閃光を放ちながら、
10000年におよぶ時空間に飛散した。

35

同じ頃、曲立彦は六星グループの新型観測機のなかから、
きらめく中央太平洋の海水が、大きく盛り上がるのを見ていた。
それはかつて彼がこの洋上で見た幻のように、
どんな力にも屈しない強い意志を持って、
四方八方に海水を押し分け、ちぎり飛ばし、
しぶきを上げて一気にはねあがった。

「長径290キロ、高さ最高670メートル、
面積約6万平方キロの大陸塊です」
機内の電子器機を操作していた観測員が大声をあげた。
だが曲はその声をまったく聞いてはいなかった。
眼下に飛び出した大陸塊だけではない。
大小数え切れないほどの陸塊が、次々と浮上しはじめたのだ。
その度に海水は盛り上がり、泡立ち、
沸騰して白い牙をむき出しながら、
手当たり次第に近くの陸塊群に襲いかかり、
跳ね返り、先を争って十方に突進していった。

(こんなことがあるものだろうか。
いや、あっていいものだろうか。
すべてが自然に逆らっているではないか)
”しんかい6500”の母船から見た真っ赤な夕陽を思い出す。
(自然は自然のままであるべきだと、訴えかけていたではないか)
曲は自分の内奥から、あの夕陽よりもさらに赤く、
激しい怒りがこみ上げてくるのを感じ、
「先生」と呼びかけてくた四倉助手の声を聞いたような気がした。

そんな彼をよそに、機内では即時に通信衛星による専用波が、
六星グループのスーパーコンピュータと連動され、
観測員が次々とデータを送り込んでいる。
結果が来る。
眼下に広がる一面の陸塊群は、
日付変更線をはさんで、
東西約6000キロ、南北約4500キロにおよぶ範囲に隆起し、
最大のものは、フィージー諸島を飲み込んで浮上した、
面積30万平方キロの大陸塊であった。