暇というのは
ほんとうはないのですね。
「今日は何もすることがない」といっても
心臓は打ち、血液はながれ、肺は呼吸し・・・etc.
生きるために恒常性を保とうと休むことなく活動しています。
人間であることが
すなわち多忙なのですね。
だから「暇で退屈だ」といというのは幻想にすぎません。
ならば、「暇だ」と感じてしまうのは何故でしょう。
それは脳(ブレイン)ではなくハートの問題なのですね。
「これといった仕事もなく、趣味もない、つまらない」
つまり、たとえそれが理論上幻想であっても
そのようにハートが感じてしまうからなのです。
でもほんとうは
周りににやりたいことや、やるべきことがいっぱいあるのです。
気がついていないだけなのですね。
ちょっとブレインのほうに接続してみたいのです。
楽譜にある休符は休憩せよということではありません。
たとえ何十小節も休符があって一発だけ打つ打楽器であっても
その間流れている音楽を感じとりながら
緊張してその時に備えているのですね。
だから、なにもすることがない、退屈だと感じるのは、
その時点でそこに流れている時空間の内容
(自身のことで例をあげれば、年齢、性格、立場などの位置関係)に
心をとめていないからといえましょう。
でも、そんな時を次へのスプリングボードとして、
休息することも立派な使用法ではないでしょうか。
食べるのもよし眠るのも良し
やはり暇というのはないのですね。

