兆候
3
風が鳴いていた。
一面に生える短い草の中の、
所々に露出した岩の間を、風は、まるで生き物のように吹き抜ける。
寒い。
もう3月も終わろうとしているのに、雪でも降りそうな気配だ。
波の音がする。
海が近いのだ。
風は波を、波は風を呼び、
二つの音が重なり合って近づいては又逃げていく。
飽くことを知らない自然のフーガだ。
暗い。
どんなに忘れようとしても、
ぬぐい去ることの出来ない心の傷に、
じわりとしみこんできて、人を狂わす魔的な闇だ。
しかし、救いがあった。
一定の周期で光が明滅している。
大地と海とは、その光の見える瞬間だけ、
生き返り、開放され、そして又死の淵に沈んでいく。
人類の歩みもまt明滅しながら、
永劫に繰り返されているのであろうか・・・この灯台のように・・・。
4
ふと風が止んだ。
霧が湧き、闇がいっそう、その重さを増す。
重さに耐えかねた闇が、一部を下へ落としてしまったかのように、
雲間から月が見え始めた。
午前1時。
揺れ動く白い霧のなかに、何かもっと白いものが泳いでいる。
大きくなったり、小さくなったりして、フワリフワリと近づいてくる。
風に呼ばれて現れた物の怪であろうか。
いやそうではない。
どうやら人間のようである。
それも一人ではない。10人ほどが一列になって、ゆっくりと進んでくる。
身体には白い布を纏っている。
生地は薄く、下の素肌が透けて見える。
先頭が両腕を広げ、肩と水平に上げた。
みながそれにならう。
白い布はクジャクのように大きく広がり、周りの霧が驚いたように逃げる。
先頭は、そのままの姿勢から両腕を前に持っていき、目の高さで合掌する。
後ろがそれにならう。
羽は閉じられ、また白い塊になる。
彼らはまるでスローモーションカメラで撮られた映像のように、
ゆっくりとその動作を繰り返しながら前進してきた。
足の部分に霧がよどんでいるため、
歩いているというよりは、地面すれすれを滑るように浮遊して見える。
風が戻ってきた。
霧がちぎれるように飛んでいき、月がはっきりと顔をだす。
灯台の裏手の崖に、一行の姿があった。
そこは先端が海に突き出した平らな岩だ。
正面からの強い風を受けて、白布が鳴っている。
眼下50メートルは渦巻く太平洋だ。
全員がそろって合掌する。
何か低い声でつぶやいていた先頭が、両腕を大きく横に広げた。
灯台の光がその顔ををよぎる。
この寒さの中では信じられないような、柔和な表情を浮かべている。
一羽の白いクジャクが、眼下の太平洋に舞った。
次々と白い孔雀が舞っていった。
波の音が一段と強い。
青森県下北郡、尻屋崎。
光が明滅していた。
(兆候5,6へ続く)