NO171

兆候

風が鳴いていた。
一面に生える短い草の中の、
所々に露出した岩の間を、風は、まるで生き物のように吹き抜ける。

寒い。
もう3月も終わろうとしているのに、雪でも降りそうな気配だ。
波の音がする。
海が近いのだ。
風は波を、波は風を呼び、
二つの音が重なり合って近づいては又逃げていく。
飽くことを知らない自然のフーガだ。

暗い。
どんなに忘れようとしても、
ぬぐい去ることの出来ない心の傷に、
じわりとしみこんできて、人を狂わす魔的な闇だ。

しかし、救いがあった。
一定の周期で光が明滅している。
大地と海とは、その光の見える瞬間だけ、
生き返り、開放され、そして又死の淵に沈んでいく。
人類の歩みもまt明滅しながら、
永劫に繰り返されているのであろうか・・・この灯台のように・・・。

ふと風が止んだ。
霧が湧き、闇がいっそう、その重さを増す。
重さに耐えかねた闇が、一部を下へ落としてしまったかのように、 
雲間から月が見え始めた。

午前1時。
揺れ動く白い霧のなかに、何かもっと白いものが泳いでいる。
大きくなったり、小さくなったりして、フワリフワリと近づいてくる。
風に呼ばれて現れた物の怪であろうか。
いやそうではない。
どうやら人間のようである。
それも一人ではない。10人ほどが一列になって、ゆっくりと進んでくる。
身体には白い布を纏っている。
生地は薄く、下の素肌が透けて見える。

先頭が両腕を広げ、肩と水平に上げた。
みながそれにならう。
白い布はクジャクのように大きく広がり、周りの霧が驚いたように逃げる。
先頭は、そのままの姿勢から両腕を前に持っていき、目の高さで合掌する。
後ろがそれにならう。
羽は閉じられ、また白い塊になる。

彼らはまるでスローモーションカメラで撮られた映像のように、
ゆっくりとその動作を繰り返しながら前進してきた。
足の部分に霧がよどんでいるため、
歩いているというよりは、地面すれすれを滑るように浮遊して見える。

風が戻ってきた。
霧がちぎれるように飛んでいき、月がはっきりと顔をだす。

灯台の裏手の崖に、一行の姿があった。
そこは先端が海に突き出した平らな岩だ。
正面からの強い風を受けて、白布が鳴っている。
眼下50メートルは渦巻く太平洋だ。

全員がそろって合掌する。
何か低い声でつぶやいていた先頭が、両腕を大きく横に広げた。
灯台の光がその顔ををよぎる。
この寒さの中では信じられないような、柔和な表情を浮かべている。

一羽の白いクジャクが、眼下の太平洋に舞った。
次々と白い孔雀が舞っていった。
波の音が一段と強い。
青森県下北郡、尻屋崎。
光が明滅していた。

(兆候5,6へ続く)

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