NO 169

出逢い(最終回)

13

「どうぞこちらへおいでください」
階段の下から、何処かの民族衣装を身につけた、
先ほどの女性が声をかけてきた。
カウンターに座ると、
バーテンが音もなく寄ってきてグラスに氷を入れ、
その上に赤い液体を注ぎ込む。
見ている間に氷が半分ほどに溶けていく。

「どうぞ。ここへおいでになった方は、
皆さんまずこれを召し上がりますのよ」
「ええ・・・」
隣に座った女性は、
恂子がグラスを持ち上げるのを待って奥へ去って行った。

 一口含むと、心地よい刺激がはしる。
 やがて頭の中で絃のトレモロが鳴り始めた。
 故郷へ帰ったような懐かしさが、こみ上げてくる。
 (なんという酒なんだろう。羽衣の紅茶の味に似ているわ)
 恂子は昔からここに来て、
 この赤い酒を飲んでいるような、くつろいだ気分になっていた。

軽く肩を叩かれた。
振り向くと男の胸があった。
緑色のタイピンが柔らかい光をはなっている。
身体が硬くなる。
そして、もう分かっているものを確認するかのように、
恂子はすこしずつ視線を上げていった。

「またお会いしましたね」
かすかに微笑んでいる顔は
この店のムードのせいか、
やさしさの中にも不思議な影を漂わせている。

阿井真舜であった。

「どうして・・・」
「大沢さんと別れた後、一人で飲みたくなって・・・ここへきたのです。
・・・で、あなたは?」
「・・・店の名前を見ているうちに、来てしまいました。
でも、会員制なのに、どうして入れたのかしら」
「ああ、それは最初のドアを開いた所にカメラがセットされているのです。
映っているのがあなただったものですから、
私がママにお入れするように言ったのです。
ええと、何を召し上がりますか?」
恂子はいまほどの赤い酒をたのみながら小首をかしげた。
「私どうかしているわ。
まったく知らない店に一人で飛び込むなんて・・・」
「きっと今日のあなたは、
昨日のあなたとはちがうあなたなのでしょう。
これからは、以前とは別のあなたになるかもしれませんよ」
「そんな・・・」

14

「私たちは、これまで3度出会いましたね。
偶然に2度、そして紹介されて1度です。
教団の階段の時は宿命的出会いです。
つまり、そのようになっていたのでしょう。
”予言の刻”の場合は普通の、
いわば昼の出会いとでもいいましょうか。
そして今、これは運命的出会いです。
二人が相手を意識することによって、運命が動いたのです。
あなたが知らないうちにこの店に入ってしまったのは、
遠い過去にその原因があるのかも知れませんよ」
恂子は阿井の瞳から(又会いましょう)と感じたり、
”アマランサス”という店名に軽い衝撃を受けたことを思い出した。

 広く明るいはずの店内で、
 ほとんど自分の周囲だけしか光が届かない。
 阿井がいる周辺だけが、ぼんやり明るく、
 その他は繰り返されるドローンの中に溶暗している。

「そのほかに夜の出会いがあり、
さらに第5の出会いがあるのです」
阿井は続ける。
「人は皆時間の刹那の点滅の中に生きているのです。
その都度生まれ、死に、
出会い、別れることを繰り返しているのです」

 いまや恂子は最高の聞き手になっていた。
 阿井の言葉のすべてを、いや、それ以上のことを吸収していた。
 宇宙からの微弱な電波をキャッチして逃さない
 高感度のパラボラアンテナのように・・・。
 時間の感覚が失われていた。

 ・・・・・

「さあ、今日はもう帰りましょう」
阿井に肩を軽く叩かれて、恂子は我に返った。
三つの扉を通り、地階から階段を上がって外に出る。
大通りまで歩いてタクシーをとめる。
送って来た阿井は自然な形で恂子の手を取って
何か堅い金属片のようなものを握らせ、
まだぼんやりしている恂子の耳元に
「おやすみ・・・」とささやいた。
タクシーは音をたててドアを閉め乱暴に発車する。
阿井の姿はたちまち人混みのなかに見えなくなった。
(送って来てくれないのね・・・)
新宿歌舞伎町24時であった。

3兆候 1~2へ続く)

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