覚醒
4
「先輩どうしたんですか」
恂子に言われて、理佳は現実に返った。
あの時の彼との光景を思い浮かべると、
理佳は、ほんのすこしだけれど、放心状態になるらしい。
「ごめん、何でもないのよ。
そんなわけで、あっという間に決まってしまったのよ」
「で、式はいつなの」
「6月だって」
「ジューンブライドね」
「普通と違って、彼の会社の方式でやるんだって。
だから全部まかせてくれって。
君は身一つで来ればいいって言うのよ」
「フーンいいなぁ」
恂子は心からそう思った。
「もう編集長には話してあるけど、5月いっぱいで社を辞めるわ」
いつの間にかマスターが寄ってきて二人にワインをついだ。
彼がこんなことをするのは初めてなので、びっくりする。
「聞きましたよ、おめでとう。編集部も寂しくなりますね」
いったん言葉を切ったマスターは、
真顔になって少し迷っているふうである。
二人にもう一度ワインをついで、
「月刊GOOでは、最近の社会異常についても、
取り扱ってるってことでしたが・・・実はうちの息子がね・・・
いやこれが親に似ず勉強の虫で、
今年T大とかってところに入っちまったんですがね・・・」
マスターの言葉がまた切れた。
「どしたのよ、マスター」
理佳が怪訝そうにうながした。
「ええ、実は行方不明になっちまったんですよ」
「えっ、うそでしょう」
「もう1週間になるんです」
「家出ですか・・・何かあったんでしょうけど、すぐに帰って来ますよ」
「そんならいいんですがね。最近若い者の蒸発が多いもんでね・・・
ああ、どうもすいません。せっかくの所をお邪魔しちゃって・・・」
マスターは語尾を残して奥へ引っ込んで行った。
5
恂子と理佳は顔を見合わせた。
たしかに若年層の蒸発や誘拐が多発していた。
月刊GOOでも、そのことについて特集を組んでいたし、
テレビや新聞にも、その種のニュースが絶えない。
「最近の誘拐事件では、まだ一人も戻ってきた人はいないわね」
いきおい声をひそめる。
「そうねェ」
「例の集団自殺にしたって、まだ続いているらしいし・・・」
恂子は途中で言葉を飲み込んだ。
理佳があまり乗り気でない風である。
せっかく結婚の話で盛り上がっていたのに、
腰を折られてしまったのだ。
「先輩、もう一軒行きましょうよ」
恂子は調子を変えて言ったが、理佳は首を振った。
「今日はこれで帰るわ」
以前にもこれと同じ場面があった。
あの時の理佳は、
今日は彼が来るかも知れないと言いながらも、
どこか、不安そうであった。
しかし今は違う。すっかり落ち着いている。
理佳が恂子を誘ったのは、
友人として、結婚のこと、退職のことを告げるためであったろう。
その目的が達成された今、
理佳は早く帰って彼を待ちたかったのかもしれない。
いや何処かで、待ち合わせる約束になっていたのかも知れない。
”近鉄”を出て一人になると、
恂子は、前に理佳に言われたことを思い出した。
ボーイフレンドなんか何人いたって、楽しいだけで幸福ではないと。
(楽しいと幸福は違うのね)
職場では、個人的な事情で流されるような理佳ではなかったが、
彼女はこの1年のうちに、大きく変わっている。
自分の生きる道を見つけたのだ。
それは、女性として目覚めたということだろうか。
結婚して子どもを産んで・・・
つまり、女性としての機能を全開できるようになって、
はじめて真の幸福を知るのであろうか。
恂子の脳裏に阿井の姿が浮かんで消えた。
6
神によって与えられ、本来誰でも持っている機能を、
人間はどれだけ活用しているであろう。
何の為にあるのかさえ分からないままに、
退化させてしまった器官が、たくさんあるのではないか。
石器に始まり、つねに道具を用いることによって発展してきた人間は、
望遠鏡を作り、電話を発明し、蒸気機関をつくって
時間と空間をどんどん縮めてきた。
自らの内なる器官を使うことなく、
種々の目的を、かなえることが出来るようになり、
今、宇宙へと一歩を踏み出そうとしている。
<目が外へ外へと向かっていくのですね、Kさん>
<ええ・・・>
<もっと身近で、もっと大切なものが、どんどん失われていきます>
<そんなものでしょう>
<もっと人間自身をみつめなければいけませんね>
<むずかしいでしょうね>
<たしかに、根気強い努力が必要でしょうが、
不可能ということはないでしょう>
<そうですね>
不可能ではない。
なぜなら、かつて人間そのものを深く見つめ、
その機能を十分に活用出来た者たちちがいたからだ。
そこには、なまさかの機械など、まったく不要であった。
人間はそれぞれ”個”であり、同時にまた”全”であった。
”超能力・・・”
現代人は言う。
だが、かつてこのソル系第3惑星にやってきた種族にとっては、
ごく普通のことであった。
そして、”天の羽衣教団”をめぐる出来事には、
彼らが深く関係しているに違いないのである。
(覚醒7~8へ続く)