NO121

風の11・・・NO12
たいべきの法則」

幼い頃はやるべきことが多い。

親の庇護のもとに、
生きるための基本的な事を学ぶためだ。

やがて義務教育が始まる。
勉強などその後の可能性を広げるため
学ぶべきことを教えられる。

自我の目覚めとともに、
「やりたいこと」が生まれてくる。
そして徐々にその割合が増え、
生き方や目標が定まって来ると、
「やりたいこと」のほうが多くなる。

わたしたちは、この短い人生のなかで、
べきだから」やるのか、それとも「たいから」やるのか。
(「べき」か「たい」かそれが問題だ・・・ウフフどこかで聞いたことがあるね)

答えは「たいから」やるのです。
べき」で始めたことも、やがて「たい」に変化していく。
  「やるべきだという義務感からやったのですが、
  今では生き甲斐になっています」
   よく聞く言葉ですね。
  
このようにしているうちに
二つの境界があいまいになり、
  「やりたいから始めたのが、
  人類に貢献することになろうとは夢にも思いませんでした」
   かくして人類の偉大な発明発見が生まれてきたのですね。

そして、ついには心の内で、二つは連結し、
やがて「たい」に収束することに気がつくのです。
めでたい、めでたい。
(そういえば、ふたつの音符が結ばれることを、タイといいましたね)

もしこれが分かってくれる人がいたら、嬉しいかぎりです。

さてみなさん
せめて、何かをするときは「たい」からやって下さいね。
プレゼントは、「あげたい」からあげるのであって
「あげるべき」だからではないのですね

だからお返しを求めては、いけませんよ。

#上記文中に「たい」と「べき」がいくつありましたでしょうか?
 やっぱり多いほうが勝ちなのですね。

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