NO154 「ムーの幻影」 2,プロローグ(1~2)

 1

一時の喧噪が過ぎて、編集部にはつかの間の怠惰な時間が流れていた。
大きな灰皿の盛り上がった吸い殻の上に、さらに灰を積み上げながら、
「恂子、例の教団のほうはどうや」
編集長の岡田遥之(おかだのぶゆき)が、
最近かけ始めたメガネのフレームの上から、キラッと目を光らせた。
「ええ、明後日、財団のほうの常務理事という方にアポをとってありますが・・・
話を聞いてみないとなんとも言えません。出たとこ勝負だと思っています。
それにしても私たちのような弱小月刊誌の取材に、よく応じたものですね」
「アホ!弱小とはなんや。大きければいいってもんやないでェ・・・
まあ敵さんには敵さんの理由があるんだろうよ」

”天の羽衣教団”
 すでに50万の信者を集めているというこの教団は、
 8年前、水道橋に2万5千平方メートルの土地を取得してマスコミを賑わし、
 2年前からその土地に、
 地上64階のビルの建築を始めて再び話題になっていた。

「まあ、あまりキバリーナよ」
岡田はまた新しいタバコに点火する。
机の前半分で原稿を書き、左に新聞の切り抜きを、右に雑多なメモ類を並べ、、
正面奥には何かの本を2,3冊広げて、目は忙しくそれらを往復しながら、
一方机の下では靴を脱いだ足が、
イボイボの健康器の上を不規則に動いている。

まあ言ってみればこのお方は、同時に何種類かをこなすのが趣味なのだろう。
あんなことを言っているくせに、頭の中では別のことを考えているに違いない。
大学を卒業して、もう2年一緒に仕事をしているのに、
恂子は岡田が何を考えているのか未だにわからない。
同時にいろいろやっているが、ほんとうは何をやっているのかもわからない。
不思議な人もいるものだ。

「なんだかんだ考えてネェで、仕事しィよ」
(・・・もぅ、いやになっちゃう。今やっと一息ついたところなのに・・・)
恂子は机の上のマスコット人形の鼻をつつくと、
先ほど持ち出してきた紳士録のページをめくり始めた。
半袖のブラウスからスラリとした二の腕が伸び、
指先が目的の氏名を求めて移動する。やがてその澄んだ瞳が固定した。

大沢正
 193X年東京都生まれ。宗教財団”天の羽衣”常務理事。
 T大法卒。195X年大蔵省入省、通産省、内閣官房を経て再び大蔵省に戻り、
 198X年主計局次長で勇退。

(フーン、一応エリートってとこね、でもどうして宗教団体なんかに移ったのかしら)
(55歳か。きっとメガネをかけて紺のスーツがよく似合う・・・
奥さんはいるのかな。バカねェいろに決まってるじゃないの・・・
なんでまたこんなことを考えなきゃならないの)
恂子は苦笑する。

槙原恂子(まきはらじゅんこ)。
 明るく自主的で、ちょっと意地っ張り、そのくせ泣き虫なところもある。
 ボーイフレンドもほどほどにあり、仕事も快調で、
 人生楽しくてしかたがないという感じの24歳である。

 2

「あっ、思い出し笑いしてる、誰のこと考えてんの」
隣の席から林理佳が肩をつついた。
「あら、そっちこそ、さっきからぼんやりしてたくせに」
「ウフフ・・・」
理佳はそれが癖の含み笑いをすると、二人は顔を見合わせて頷き合う。
「いい加減にしろよ」
向かい側から声がかかる。

「”モカ”へ言ってるぞ」
岡田が立ち上がった。
”モカ”はこのビルの地下街にある喫茶店で、
岡田は日に何度も通う常連である。
(いつものことだ。またママの由美と、悪い冗談でも語りに行くのだろう)

 岡田は両切りのタバコしかすわない。フィルター付きしか無いときは、
 わざわざそれを切り取ってすう。
 ほとんど常に煙を上げているので、別名”えんとつ”という。

(あれで、よく言葉を言う暇があるものね)
言葉といえば、あのナマリは何だ。
関西弁が多いが、仙台弁や津軽弁まで飛び出す。
何処かへ出張して帰って来ると、一週間はその土地のナマリが出る。
まったく何から何まで変なお方だ。

いろいろ考えているうちに、周囲の音がだんだん遠のいていき、
恂子は仕事に集中してくる。
”天の羽衣財団”訪問の段取りが、一通りついた頃には、
もう退社してもいい時間になっていた。

上の階から下りてきたデスクの山崎が、
右手の親指を立てて、「・・・は?」と言うと、誰かが人差し指を下にむけている。
岡田は”モカ”だと知らせているのだ。
向こうの席では、
「今夜一丁やっか」
「ほう、挑戦する気か」
「バカ、酒だよ酒」
と言っているのが聞こえる。

「恂子、オレたちもメシでも食いに行っか」
理佳がまた肩をつついた。
この時間になると突然男言葉になるのが、彼女のこわいところだ。
最近彼ができたというので、何かと恂子に語りたがる。
その話がおもしろいのと、食事代がただになったりするのが魅力で、
恂子はよく理佳について出かけていた。
「先に着替えてるから」
理佳は、恂子がついてくるのは当然だというように、返事も待たずに出て行った。
恂子は、入れ違いに汗を拭きながら入ってきた
カメラマンの良ちゃんこと、藤守良に、明後日の同行を確認して理佳の後を追う。

岡田は結局最後まで帰ってこない。
残っている連中も少しずつ夜の顔へと変化を見せながら散っていく。
月刊”GOO”(グウー)編集部、夏の暑い一日であった。

NO155、プロローグ(3~へ続く・・・)

 

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