NO 246

出発(たびだち)

26

ここ1ケ月というもの、晴れたことのなかった雲間から、
時々こぼれてくる陽光は、人々に、新たな希望を与えるかのように、
あたたかく爽やかであった。
ゼロメートル地帯をはじめ、
下町全体を襲った海水も今はすっかり引いて、
灰色にくすんだ街には、力強い復興の槌音がきこえていた。
新宿は大部分が冠水をまぬがれ、
GOO編集部では、
通常のスラッフにスポーツ娯楽担当も加わって、
ネオムー帝国の浮上から沈没に至るまでのドラマを、
特集号にまとめる作業が、急ピッチで進められていた。

星野深雪は、もう一人前の記者兼編集者として、
恂子と二人、まだオーストラリアから帰れないでいる、
弥次喜多コンビの穴を埋めるべく飛び回っている。
追跡調査のため水道橋にやって来た二人は、思わず足を止めた。

ネオムー帝国アジア総大使館が、ひっそりとたっている。
ビルを吹き抜ける風の音だけがむなしくきこえてくる。
近づいて行くと、ビルの周りにはロープが張られ、
10メートル間隔に制服の警官がついている。
朝夕新聞の身分証明書をだして、入れてもらう。
点灯されず、薄くらい1階のロビーには、
都の係官や、刑事らしい男にまじって、
各紙の記者の姿も見える。
撮影は禁止らしく、テレビカメラはなかった。

「自由に歩き回ってもいいでしょうか」
深雪が係官に訊いた。
「2階までは自由。その上は立ち入り禁止です」
「それで、帝国側の誰かと会えるのでしょうか」
「誰もいませんよ」
はき出すような言い方にも深雪は頭を下げる。
羽のように広がっている階段を上がると、
灯の消えた”羽衣”の看板が目につく。
扉は堅く閉じられ人の気配はない。
(阿井さんはこの上にいるんだわ)
恂子の想いが上昇する。
誰もいないのではなく、誰も上へは行けないのだ。
阿井は既に恂子が下に来ていることを察知して、想いを下降させる。
それは、愛する者どうしの指向波であった。
他の者にはキャッチできない二人の想いが、
ビルの中間点で出逢っていた。

27

「何故、こうならなければいけなかったのかしら」
紫色の霧の中にNO3の沈んだトーンがこもる。
「すでに女王陛下は決断されたのですね」
「前から予感があったらしい」
”白のお方”枢機卿NO1は、
ネオムー帝国中央政府ビルでの会見を甦らせた。
「”急の舞”開始準備中」
いつものように、無感動なコンピュータの声が流れている。

28

社に帰った恂子と深雪は、机に向かう。
人っ子一人いないビルの不気味さを前面に出して、
都の係官や、警察の見解を交えた原稿を書き終えた。
張り切って出かけた深雪だが、
当事者に会うことができず、すこしがっかりしている様子が分かる。
「”近鉄”へいこうか」
恂子が誘う。
 
 彼女は今満たされていた。
 そばにはいなくても、一定の所まで近づけば、
 何時でも阿井と想いを通わせることができるのだ。

「イクイク」
深雪がすぐに乗ってくる。
深雪には、ネオムー帝国が沈む前日から、
5日ほど社を休んでいた槙原恂子が、
戻ってくると、ひとまわり大きくなったような気がした。
恂子の何気ない動作や言葉遣いのうちにも、
単なる優しさだけではなく、
生きる喜びと自信があふれているように感じる。
最近深雪は、恂子を本当の姉のように慕っている自分に驚き、
同時にそれを喜んでいた。
心の奥底でしっかりと結びついた、
絆のようなものを感じるのである。

(出発29~30へ続く)

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