出発(たびだち)
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三枝由美は、岡田遥之の後ろに回って背広を脱がせる。
岡田は,ほどいたネクタイを由美にわたし、ソファーに深々と座った。
由美はテーブルにグラスを二つ置く。
ビールを取り出し、岡田のグラスになみなみと、
自分のそれには、半分ほど注いだ。
「ご無事で・・・」
由美が小声で言って、二人はグラスを合わせる。
「阿井が恂子を救うために、一瞬にせよ力をゆるめなければ、
おそらく無事では戻れなかっただろう」
岡田は一気にグラスを干した。
「阿井と恂子が愛し合っていたからこそ、
俺もウイリアムズも、
ネオムー枢機卿の強力なPKから逃れることができたのだ」
「伯爵は亡くなられたそうですね」
「壮絶な最期だった。
なにしる地下600キロに隠されていた”羽衣”を移動させたパワーだからな」
「”羽衣”とは本当は何だったのでしょうか」
「彼らは遠い昔、遙かな星からやって来た一族なのだ」
岡田を直接の答えを避けるように、話の方向を変え、タバコに点火した。
「スバルですね」
「そうだ。
一族の女王が、この地球に理想を求めて築いたムー大陸が沈んだ時、
”羽衣”は地下深くに埋もれてしまったのだ」
「彼女はその”羽衣”を12000年の間探し続けていたのですね」
「だから世界各地に羽衣伝説、説話が生まれた。
西欧では、”白鳥処女説話”と言われているが、
その定型は、天女が羽衣を脱いで沐浴している間に、
漁師がそれを盗んで隠す。
帰れなくなった天女は、漁師と結婚して何人かの子女を生む。
子どもたちが2,3歳になった時、”羽衣”を発見して昇天するというものだ」
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「残された天女の子どもたちは、どうなるのですか」
由美は興味を引かれたように先を促した。
「それぞれの民族の祖となる。
つまり天女は新しい民族を生むために、重要な存在だったのだ」
「天の羽衣教団は、天女の子どもたちの末裔だったのですね」
「そうだ。そして天女は、とうとう羽衣を見つけた。
いや、我々”GOO”の創造者が、返してやったにちがいない」
「何故今になって・・・」
由美は残りのビールを注ぎながら、次の疑問を投げかける。
「説話が示しているように、おそらく彼女の役目は終わったのだろう。
だとすれば、彼女は彼女の世界に生きるのが一番いいのだ。
この地球上に彼女の平安はない」
紫煙がゆれ、独特の甘い香りの満ちた部屋に、岡田の声が溶け込む。
ややあって、由美がポツンといった。
「帰るのですね・・・」
岡田はグラスを空けると、ある情感と共に口を開いた。
「そうだ、帰るのだ、彼らの故郷へ・・・”羽衣”に乗ってな」
ビールを取りに立ち上がった由美は、
何かに引き寄せられるように岡田の膝に崩れた。
たちまち彼の腕に捕らえられ、身体の中心を深々と貫かれていた。
「あぁ・・・」
由美の声が尾を引く。
自分であって自分でない生き物が目覚め、叫んでいた。
1時間が瞬く間に過ぎ、岡田はまだ由美の中にいた。
「好きよ・・・ああ・・・あなたすごいわ・・・」
由美は岡田の首に腕を回して引き寄せる。
唇が重なる。
由美は自分の中で自分が変化していくのを意識していた。
より新しいものへ、より高次なものへと、心が、そして身体が変わっていく。
その時、頂点だと思っても、もっと先があり、そしてさらに先の予感があった。
また1時間が過ぎる。
いま由美の中に宇宙があった。
そのなかで、彼女は人を超えて進化し、一転して獣になり再び人に戻る。
何処までも続く連鎖であった。
進化は循環し、循環しながら、
超える度にまた現れる頂点へと上りつめていった。
(出発31-32へ続く)