出発(たびだち)
31
夜10時。
天上の高みから4個の白銀球が、大気圏に突入した。
それは、太平洋上で四方に分散し、ひとつが東京へ向かった。
「あっ、流れ星!」
食事をたんのうして、恂子と二人、地上に出てきた深雪が、
2,3歩走り出して空を仰いだ。
流れ星は、大勢の人たちが見上げている上空を通過し、
ふと、闇に消えた。
だが、恂子には、
それが闇よりも暗くそびえる、
ネオムー帝国アジア総大使館の中に、吸い込まれていったのが分かった。
言いようのない不安が彼女の全身を襲う。
「急用を思い出したわ。今日はこれでね・・・」
恂子が手を上げた。
深雪が、驚いて振り返った時には、
恂子はすでに止まったタクシーに半分身体を入れていた。
「歌舞伎町」
深雪には、走り出す車の中で恂子が、そう言ったように見えた。
「羽衣収納。”急の舞”開始7時間前」
無人の60階に、コンピュータのうつろな声が響く。
そして同じ意味の音声が
ロサンゼルス、シドニー、サンチャゴのビル内にもこだましていた。
32
”アマランサス”は無人であった。
ここしばらく使用されていないことを物語る、空虚さがただよっている。
恂子は壁画の通路に入った。
心なしか壁一面の蝶も色あせてみえる。
ちょうど目の高さに描かれた、謎の黒い扉の上に、
ぼんやりとした光の塊がよどんでいる。
「阿井さん」
恂子はその光に呼びかけた。
「出発(たびだち)の時がきたのですね」
声にすべての情感がこもっていた。
(私はいつもあなたの内にいるのです)
阿井の残留思念が伝わってきた。
光が一瞬またたいて消えると、
蝶の壁画はただの白い壁に還元していた。
(出発最終回、33,34へ続く)