復活
15
曲立彦は緊張していた。
これから、初めて実際に海底へ潜るのだ。
だが、そのことばかりが緊張の原因ではない。
何か、途方もない現象に出会いそうな予感がする。
彼は、支えようとするクルーを制して、
直径2メートルはあると思われる耐圧室に滑り込んだ。
壁面は、器機で埋まっていて。
パイロットの小田桐と、コ・パイの白戸が、
表を見ながら最終チェックをしている。
曲は出航以来、もう顔なじみになっている二人に黙礼し、観測席につくと、
すでにシュミレーターによって練習済みの器機を確認していった。
やがて、海面下6500メートルまで潜水可能で潜水時間9時間という、
世界最高の自走式潜水調査船”しんかい6500”は、
その全長9.5メートル、重量25トンの巨体を静かに沈め始めた。
スピードは徐々にあがり、美しい南の海はゆっくりと暗黒に包まれていく。
「深度500,異常なし」
白戸が言うと、小田桐が曲のほうへ首を回した。
「先生、2000メートルまで、一気にいきますよ」
ニヤリと笑って白い歯を見せる。
一つを除けば打ち合わせどうりであった。
その一つというのは、この付近に海底が、
地図に示されているものより、約1000メートルも隆起していたことである。
前々日に潜った海洋科学技術センター側の話によると、
隆起面と海盆との間には、約60度の崖が形成され、
最深部では、逆に沈降していることがわかった。
昨日、再度の潜水により、
隆起速度は毎時40センチという信じられない数値を示し、
計器類を再チェックしたほどであった。
16
そして今日,
曲は3000メートルであったはずの2000メートルの海底に着底した。
「曲先生、ここが問題の海域の北の端にあたります。
もう50メートルほど北へ進むと、海盆へ滑り落ちる崖になります」
曲は、のぞき窓からライトに照らし出された海底に目をやる。
ゴロゴロした岩状のところに泥のようなものが被さり、
それが時々舞い上がっている。
(静かだ・・・)
この海底が超スピードで持ち上がっているとは、とても信じられなかった。
小田桐が母船へ現状を報告してから、あらためて指示を求めた。
「崖を降下しましょうか」
「お願いします」
崖にそって1000メートルほど降下する。
やや角度がゆるやかになり、
周囲には多数の卵形の岩がころがっている。
流れ出た溶岩が、
一瞬のうちに海水で冷却されるためにできる、枕状溶岩である。
「右方2時の方向に熱水噴出」
曲はライトの光のなかで、目を凝らした。
崖の斜面に12,3本のチムニーが出来て、
煙のようなものが噴出している。
「熱水温度260度。深海生物は見当たらない」
白戸が言った。
17
船はさらに下降、2800メートルの海底すれすれに崖を離れて行く。
2キロほど進んだであろうか。
海底に幅10メートルほどの細長い亀裂が見え始めた。
「あの縁まで言ってみてください」
曲が小田桐に指示した。
船は亀裂の上部まで来て静止する。
「おっ!」
亀裂の縁の小岩が動いた。
いや、その中に転がり込んでいるのだ。
それは、ハイスピードカメラで捉えられたように、
最初はゆっくり、
やがてゴロゴロと回転して暗い奈落へ吸い込まれていった。
白戸がマニピュレーターをを操作して岩石の採集にかかる。
突然船が後方へ大きく飛ばされた。
上下の感覚が何度も逆転する。
曲は必死にシートにしがみつく。
だが、小田桐は、
巧みに両横のプロペラを操作して舟を安定させた。
「マニピュレーター、操作不能。主推進器異常なし」
白戸の声を聞きながら、
小田桐は自分でも器機をチェックし、母船に報告している。
「亀裂の沿って崩れたのですね」
「そうです。手元の計算によっると、
長さ600メートル、幅30メートルほどが、斜めに削り取られたようです」
「それにしても驚きました」
「まあ、このくらいはよくあることですよ」
小田桐が白い歯を見せた。
18
初めての潜水を無事終えた、曲立彦は、
今、正に水平線に沈み込もうとしている真っ赤な夕日を見ていた。
百万の宝石をちりばめた、光の帯が眼下まで続いている。
それは、これからやってくる闇を想像するには、
あまりにも華やかで、美しく儚い。
まるで、もう明日はないとでもいうように、
すべてをこの一瞬に燃焼しつくして、激しく切なく訴えかけてくる。
太陽がそして海が主張していた。
<自然は自然にあるべきだ>・・・と。
(復活19~20へ続く)